「許嫁とか、漫画の世界だと思ってましたよ」

 ふくれっ面の菜月に、執事の佐久山が声をかけた。

「何か至らない点でもございましたか」

「えっ」と、振り向いた菜月はにこやかに首を振る。「いいえ、楽しいパーティーですね」

「何か召し上がりますか」

「は、はい、あの……。私、東山菜月です」

「史香様の会社の方ですね」と、即座に佐久山が応じる。「キャビアがお好きでしたら、オードブルをお持ちいたしましょうか」

「え、いいんですか」

「ええ。少々お待ちください」

 グレイヘアの佐久山を目で追いながら菜月が史香の肩を揺する。

「先輩、私、見つけちゃったかも」

 ――はあ?

 いくらなんでも肉食系過ぎるでしょうよ。

 それとも、雑食系?

 ああ、もう、どっちもでいいから。

「菜月、ほら、フォアグラでも食べてなさい」

 菜月の口にカナッペを放り込む。

「もご、むご、何するんですか、先輩」

 と、その時だった。

 サンルームのシェードが巻き取られ、ガラス越しに光が差し込む。

 そこへ、小型のプロペラ機が飛んできた。

 甲高いエンジン音をとどろかせながら翼を振って曲芸飛行を始めたかと思うと、青空を背景に、ピンク色のハートマークを描いて去っていった。

「うわあ、先輩、すごい。ゴージャスですね!」

 菜月が上を向いたまま歩き出す。

 ――あ、危ない。

 料理の並ぶテーブルに突っ込みそうになったその瞬間、佐久山が間に入って菜月の体を支えた。

「あ、ありがとうございます」と、菜月が頬を染める。

「どういたしまして」

 ふう。

 見てたら、なんか急に疲れちゃったな。

 やっぱり菜月は菜月だな。

 産休に入ってからの仕事、任せられるかなあ。

「どうした。疲れた?」

 いつの間にか蒼馬が隣に立っていた。

「ううん、大丈夫」

「無理しなくていいんだよ」

「ずっと座ってたから、逆に、少し歩いた方がいいかも」

 蒼馬がすっと肘を曲げて腕を差し出す。

 史香は自分の腕を絡めて歩き出す。

 みなの拍手が沸き起こる中を二人は寄り添いながら進んでいく。

 サンルームの開いた扉から外へ出たところで、頬を寄せて蒼馬がささやく。

「愛してるよ」

「私も」

 健やかなる時も病める時も、富める時も貧しき時も。

 いつだってどこだって、この人がいてくれれば幸せだから。

 この人と出会えて良かった。

 運命の街、ベリが丘。

 梅雨入り前の青空の下で、あらためて二人は誓いの口づけを交わしていた。