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花火が終わって、それを目当てに来ていた他の客が少しずつ姿を消していき、展望台が静かになった。
二人きりで足元に広がる夜景を眺めていると、自分が光に溶け込んでいくような気がした。
こんな穏やかな気分で景色を眺めるなんて久しぶりだ。
仕事、仕事、仕事……。
立ち止まってみれば、自分自身をどこかに置き忘れてきていたような気がする。
「私、ずっとこのビルで働いていたのに、ここに来たの初めてだったんですよ」
「いいところなのに、もったいないね」
「ええ、もっと早く来れば良かったです」
「誰と?」
――え?
「一緒に来る間柄の人、いるの?」
「いませんよ、そんな人」と、急な質問に動揺しすぎてしまう。「いたこともないですし」
「そうか」と、安堵したようなため息をつきながら蒼馬が笑みを向けた。
「だって、私、キスもしたことなかったんですから」
「あれは、すまない。俺が強引すぎた」
だけど、と蒼馬が言葉を継いだ。
「俺じゃ嫌だった?」
はあ?
ええ、まあ、なんていうか、もう少し心の準備というか、シチュエーションというか……。
言い訳を探しているうちに、史香は自分の気持ちに気づいていた。
目の前にいる蒼馬に心引かれていることに。
自分でも驚くほど素直な気持ちがこぼれ出てきた。
「べつに、もう、嫌じゃないですけど」
おそらく、この先も、もうこんな人は現れないだろう。
地味で堅物で、仕事のことしか頭にない自分なんかに興味を持つ男性なんているわけがないし、べつにいてほしいとも今までは思わなかった。
誰もこんな自分に興味を示さなかったように、私だって、恋愛に興味がなかったのだ。
わざわざ感情に不穏なさざ波を起こして不安定な気持ちになって、それを相手に対する好意と勘違いするような馬鹿げた心理現象を恋愛と呼ぶ人の気持ちがまったく分からなかった。
だけど、今の気持ちに素直になるなら、史香は生まれて初めて高揚する気分を楽しんでいた。
本当は、憧れていたんだ。
お姫様みたいに夢の魔法にかかってキラキラとした時間を一瞬でもいいから味わってみたい。
遊びでもいい、演技だって構わない。
ううん、むしろ、そうだからこそ、今この瞬間だけ、誰にも内緒の思い出を作ってしまえばいい。
あとは心の奥の金庫にしまって秘密にしておけばいいんだから。
どうせ、この人だって本気なわけないんだから。
だからこそ、映画みたいな恋のつもりで自分勝手な妄想を膨らませたっていいじゃない。
本当は、そんな相手に思いっきり飛び込んでみたかったんだ。
――期待してもいいのかも。
演技なんだから。
相手が私をからかっているのなら、だまされたふりをして、本当にだまされてしまいたい。
だって、だまされているうちは、夢を見ていられるのだから……。


