青い鳥はつぶやかない 堅物地味子の私がベリが丘タウンで御曹司に拾われました

 はじめはただ唇を重ねるだけ。

 ぎこちなく応じる史香の緊張を和らげるように蒼馬が舌先で頑なな唇をもてあそぶ。

 一度侵入されたら抵抗などできなかった。

 フレンチトーストのようにしっとりと弾力のある舌が甘く滑らかに絡みつく。

 息ができずに離れようとしても腰に回された腕が許さない。

 人前でこんなことをするなんて、信じられない。

 史香は全身の力で手を突き出し、蒼馬を押しのけた。

「いきなり何するんですか」

 その返事は聞かされず、蒼馬に腕を引っ張られ、倒れるかと思ったその瞬間、まるで妖艶なタンゴを踊っているかのように腰を支えられ、男の微笑みが覆い被さってきた。

「ただの演技だよ。協力してくれ」

「初めてだったんですけど」

 悔しさで涙が浮かぶ。

 なのに、史香は彼に体を支えられたまま動けなかった。

「演技って、何の演技ですか」

「台本はない」と、蒼馬は片目を細めた。「アドリブで頼む」

 ――無茶でしょ。

 拒む間もなく、再び史香の唇は蒼馬のキスで塞がれていた。

 と、二人のもとへカツカツと靴音が近づいてきた。

「そ、蒼ちゃん……」

 人目をはばからぬ口づけを交わす二人を、里桜が呆然と見つめていた。

 横目でそれを確かめるとようやく蒼馬が唇を離した。

「彼女に嫌われたいんだ。俺を最低の男にしてくれ」

 頬を寄せる仕草の流れで耳打ちされた史香は蒼馬をにらみつけた。

「もうすでに私に嫌われてますけど」

「なら、そのまま頼む」

 蒼馬は笑みを浮かべると、史香の腰に回していた手を離し、そのまま里桜に向けて差し出した。

「やあ、いらっしゃい」

「ねえ、蒼ちゃん、これはいったい……」

「紹介しよう」と、史香の腰に再び腕が回される。「俺が今おつきあいしている……」

 名前が出てこないらしい。

「あの、黄瀬川史香です」と、パンツの縫い目にきっちり手を添えて頭を下げる。

 なんで私が協力してるんだろう。

 思わず名刺まで差し出そうとしちゃったし。

 自分から名乗って後悔がわく。

「おつきあいって」と、顔色を変えた里桜が蒼馬に詰め寄る。「蒼ちゃんの恋人は私でしょ」

「すまない」と、蒼馬は片手を上げて会場入り口に向かって歩き出す。「官房長官がお越しだ。ご挨拶してこないと」

「ちょっと、蒼ちゃん」

 里桜は子供みたいに頬を膨らませて蒼馬の背中を見送っている。

 知らない相手と置き去りにされた史香は軽くため息をついた。

 ――文句を言いたいのは私の方なんですけど。

 丸投げして放置するのはうちの課長だけにしてよ。