青い鳥はつぶやかない 堅物地味子の私がベリが丘タウンで御曹司に拾われました

「緊張していますか?」

 不意にたずねられて顔を向けると、蒼馬は前を向いたまましゃべっていた。

「ええ、まあ」

「それでいいんです」

「どういうことですか?」

「あなたは何も知らない」

 ええ、だって、何も教えてくれないのはそっちですよね。

 蒼馬は窓の外に視線を向けて淡々と話を続けていた。

「生まれつきの女優と対決するんだ。演技で勝てるとは思えない。本当に何も知らない方が都合がいい」

 そして、ようやく口元に笑みを浮かべて史香に顔を向けた。

「俺も鬼の演出家にはなりきれそうにないんでね」

 話の内容がまったく理解できないまま車がオーベルジュの敷地に入っていく。

 まるで深い森に迷い込んだかのような通路を進んでいくと、ヨーロッパの城館が姿を現した。

 この城館はスコットランドから本物の貴族の館を移築したものとして知られていて、ツインタワーのガラス張りのエレベーターから森の上に顔を出す塔の先端だけ目にしたことはあるものの、会員以外は敷地にすら入ることができないので、史香が全体を見たのはこれが初めてだった。

 城館前の車寄せにセダンが止まると、バチカンの衛兵に似た制服をまとったスタッフがドアを開けてくれた。

「ようこそ道源寺様、お待ち申し上げておりました」

 蒼馬に続いて史香も車外へ出ると、コートを着ていないせいで思わず自分の身を包むように腕組みをする。

「寒いですか。早く中に入りましょう」

 気がつくと史香の肩には蒼馬の腕が回されて、二人は顔を寄せ合うように馬蹄型の曲線を描く優美な階段を上っていた。

 ちょっと、近すぎません?

 見られて恥ずかしいという気持ちと、人前で突き放したら失礼かという葛藤で混乱したまま城館の内部へと招き入れられる。

 玄関ホールで待ち構えていたスタッフが蒼馬にアテンドして館内を進んでいく。

 小さな部屋が並ぶ廊下を抜けたところが大ホールになっていて、すでにたくさんの人が集まっていた。

 男性はみな蒼馬のように見ただけで高級品と分かるスーツで、女性は年配の方々ですら華やかなパーティードレスを身にまとった人たちばかりで、一着買うともう一着無料の量販店スーツしか着たことのない史香はすでに尻込みしていた。

「ありがとう、ここでいいよ」

 スタッフにお礼を言って蒼馬は史香の肩から手を離した。

「俺は招待客にあいさつをしてくるから、好きな物でも飲んでいてくれ。医者は、酒でもなんでも大丈夫だと言っていたよ」

「あ、そうなんですか」

 じゃなくって、こんなところに私一人で置いていかないでくださいよ。

 しかし蒼馬はすでにお客さんの中に紛れてしまって、一人置き去りにされてしまった史香はしかたなく飲み物や軽食の並ぶテーブルへ歩み寄った。

 シャンパングラスをトレーにのせたスタッフと目が合うけど、一瞬ためらってしまい、もらうことができなかった。

 見ていると、みな慣れた様子でスタッフに気軽に話しかけてお酒をもらっている。

 どう考えても自分は場違いだ。

 と、いきなり後ろから声をかけられた。

「ああ、君ね、同じ酒をもう一杯くれたまえ」

 はい?

 振り向くと、そこにはなんとなく見覚えのあるおじいさんがいた。

 差し出されたグラスを思わず受け取ってしまったけど、同じお酒って何?

 ていうか、私、スタッフじゃないんで分からないんですけど。

 困ったおじいさんだなと心の中で舌打ちをしたその瞬間、史香の手がグラスを落としそうなほど震え出した。

 ――森泉元総理!?

 学生の頃ニュースで毎日見ていたあの人?

 御本人?

「たっ、ただいまもらって参ります」