◯週末のスーパーマーケット「ぜんきち」の店内。

四番レジカウンターの中。

カウンターの上には『他のレジへお願い致します』のカードが置いてある。

残念な表情を隠さないまま、撫子はぼんやりと自分の手の爪を眺めている。



撫子(てっきり、柊くんのそばにいられると思っていたのに)

(レジの使い方だって、柊くんに教わりたかったわ)



目の前でレジの使い方の説明をしてくれている、小柄でお団子ヘアの女性店員・三角 響子(みすみ きょうこ)を見る。



三角「……ここまでわかりましたか?レジの使い方は難しくないし、すぐに実践してもらいますね」

撫子「……」


返事もせず残念そうに爪を眺める撫子に、三角はため息を吐く。



三角「じゃあ、このレジカウンターで接客してくださいね。私は後ろで見守っていますから」



三角は四番レジカウンターに置いていたカードを手に取り、片付ける。



撫子「え?」

三角は撫子の後ろに立ち、「いらっしゃいませー!」と、お客様に呼びかける。



全然説明を聞いていなかった撫子は戸惑う。

しかし六十代くらいの女性客が未精算のレジカゴ(緑色)に沢山の商品を入れて、四番レジにやって来た。

撫子はとりあえず、未精算のレジカゴから取り出した商品のバーコードを探し、レジに通す。

そしておどおどした様子で、精算済みのレジカゴ(赤色)にその商品を移す。

その一連の動作がゆっくりで、女性客が何か言いたそうにしている。



時間を費やして、未精算のレジカゴに最後に残っていた牛乳をレジに通し、精算済みのレジカゴに移すと、女性客の眉間にシワが寄った。



撫子(このあとはどうするのかしら!?)



思わず三角を振り返ると、困っているのか怒っているのかわからない表情で、撫子の隣に来た。



三角「失礼致しましたっ!」



三角は精算済みのレジカゴの中で、バナナの上に乗っている牛乳を移動させる。


三角「バナナは他のものと取り替えますので」



深々とお辞儀する三角。

レジ係ではない他の従業員に説明して、バナナを替えてもらっている。

撫子はわけもわからず、とりあえず女性客に頭を下げた。




◯店のバックヤード

三角に連れられて、バックヤードの隅に移動する撫子。



撫子「あの……?」

三角「宝来さん、あなた、何も説明を聞いてないですよね?」

撫子「……えっと、その……」

三角「さっき説明したでしょう?柔らかいものの上に重いものは置かない!冷たいものと温かいものは、カゴの中で分けて置く!」

撫子〈きょとんとした顔で〉「……そうだった、かしら?」



三角は「はぁっ」とこれみよがしにため息を吐く。



撫子「えっと、あなた……」



三角のエプロンに付けた名札を見ようとして、睨まれる撫子。



三角「さっき、自己紹介もしました。私は三角 響子です。大学二回生で、二十歳です!」
〈怖い顔をしている〉

撫子「そんなに怒らないでください、三角さん」

三角「怒りたくもなりますっ」



◯月曜日の放課後、私立R女子学園高等部。

昇降口で靴を履き替えている撫子と麗華。



麗華「まさか、あのままアルバイト先を見つけているなんて……」

撫子「本当にごめんなさい。カフェに置き去りにして……。反省しているのよ」

麗華「いいよ、なぁこちゃん。それより今日もアルバイトでしょ?公園の彼と仲良く、お仕事頑張ってね」



撫子は元気のない表情で、「じゃあ、遅れるといけないから」と、麗華と別れる。




◯スーパーマーケット「ぜんきち」のバックヤードの隅。

不安そうな顔で店内へ続くドアを見つめている撫子。



撫子(また失敗ばかりして、怒られるのかしら)



足音が近づいて来て振り返ると、柊だった。



撫子「あっ、あの、こんにちは」

柊「お疲れ様です」

撫子「わ、私、宝来 撫子です。私立R女子学園高等部の三年生です」

柊「あ……、オレは柊 紡(ひいらぎ つむぐ)です。県立M高校の三年生です」



撫子(紡っていう名前なのね?それに、私と同学年なのね!柊くんのことを少し知れたわ!)



撫子「……」〈何かを言いかけてやめる〉

柊「……?どうかしましたか?」

撫子「……いえ、あの、私……、失敗ばかりで恥ずかしいわ」
(本当は柊くんにもっといいところを見せたいのに)



柊は「あぁ」と思い当たったことがある顔をしてから、「でも、失敗なんて当たり前ですよ」と、何でもないように言う。



撫子「え?」

柊「だって、宝来さんはアルバイトを始めたばかりですし。これから仕事を覚えていけばいいんです」

撫子「……!」
(不思議。気持ちが軽くなったわ)

柊「あの、おせっかいなこと言いますけど」

撫子「はい?」

柊「メモを取るといいかも、です。失敗したことも、仕事仲間の見習いたいところも、メモにしておけば忘れません」

撫子「メモ……」



柊は頷く。



柊「同じ失敗を繰り返しませんし、見習いたいことも実践しやすくなります。そうすると自然と仕事を覚えていける気がするんです。オレはそうしています」

撫子「!!」

柊「あ、絶対メモしろってことじゃなくて……」

撫子〈目を輝かせて〉「いいえ!とても勉強になりました!!私、実践します、メモ!!」



柊は少し驚いた表情になってから、ニッコリ笑う。

そんな柊にドキッとする撫子。



柊「じゃあ、店内に行きましょうか」



歩き出した柊に、うっとりとする撫子。



撫子(あぁ、やっぱりいいな。柊くん)



◯レジカウンターの中。

三角と三番レジカウンターに入っている撫子。



撫子「あの、三角さん……」

三角「何か?」

撫子〈勢いよく頭を下げる〉「……ごめんなさい!!私、三角さんにひどい態度でした!」

三角「え?」

撫子「きちんと覚えます、レジ打ちの仕事!だから、これからもよろしくお願いします」

三角「……」



何も言わない三角に、頭を上げて三角を見る撫子。



三角「ひとつ、いいですか」

撫子「あ、はいっ」

三角「商品をバーコードに通す時、両手で商品を持って移動させると時間がとてもかかるんです。それは丁寧だけど、崩れやすいものや、壊れやすいものの時だけでいいんです」

撫子「……は、はいっ」

三角「未精算のレジカゴから片手で商品を取り、バーコードを通したら、もう片方の手に商品を持ち替えて精算済みのレジカゴに移す。慣れてきたら、精算済みに移す時にはもう、空いた手は未精算のカゴから次の商品を取る」

撫子「……なるほど、あっ、今の、メモにします!」



ポケットを探るけれど、書くものが見つからずアタフタする撫子。

三角が撫子にメモ帳とボールペンを差し出す。



三角「あげます、私はもう一つセットで持っているから」

撫子〈ニッコリ笑って〉「ありがとうございますっ!」



そんな撫子に、三角もニッコリ笑う。



◯その夜、早乙女家のリビング。

部屋着を着ている拓磨が大きなL字型のソファーに座り、赤いワインを飲んでいる。

ヴヴヴ。

スマートフォンに誰かから着信があり、拓磨は電話に出る。



拓磨「……は?アルバイト?宝来 撫子が?」



険しい顔になる。



拓磨「何をやってるんだ、仮にも早乙女家の婚約者が、アルバイト!?恥をかかせるつもりか、あのはねっかえり!」



スマートフォンを乱暴な手つきでソファーに叩きつける拓磨。

リビングの窓から見える夜空には、暗い雲に満月が隠れてしまい、不穏な雰囲気。