「あの、幸村くん。ありがとうございました」
「大したことじゃないよ」
幸村くんは唇の端をゆるく吊り上げて、眉尻を下げるように笑う。
その瞬間、私には世界の時間が止まったように見えた。
心臓がどくんと大きな音を立てたのが始まりの合図。
辺りに水しぶきがまかれたように、周りがきらきらして、私の心臓だけが、どくどくと動いていた。
視線が交わっている、ただそれだけでどうしようもなく顔が熱くなる。
「じゃあ、俺練習に戻るから」
終わりの合図は、そんな言葉。
幸村くんの視線は呆気なく私からそれて、紺色のジャージにおおわれた背中が、1人で来た道を戻る。
遠ざかっていく背中を、私はただながめることしかできなかった。
幸村くん。今までも、見かけたことはあって。
みんなの言う通り、かっこいい顔をしているけど、ふつうの男子だと思っていた。
いじわるで、のろまな女子に呆れる、ふつうの男子だと。
でも、ちがったんだ。
モテモテなのがわかるくらい、幸村くんはやさしかった。



