心菜は何も考えられなくなって、中山麻里奈の言いなりに彼女を部屋に通してしまう。

「へぇ、結構良い所に住んでるわね。
貴方が出て行ったら私がここに入ろうかな。」
麻里奈は心菜にわざと聞かすように独り言を言う。

そして、勝手にソファに座り話し出す。

「今日、私がここに来たのはもう一つ大切な話があってね。
彼のお母様なんだけど…ご病気なの。
最近、乳癌が見つかって早く手術をしなければ助からないらしいの。

だけど、本人が…胸を取るくらいなら死んだ方がマシだって手術を拒んでいるの。
誰が説得しても全く聞き耳持たなくてお手上げ状態なのよ。

もしかしたら、蓮の言う事だったら聞くんじゃないかってお父様が。
蓮にお母様が手術を受けるように説得して欲しいのよ。」

一刻を争うような話だった。

今、彼が実家に戻らなければ、お母様が命を落としてしまうかもしれない。

まだ生きられるのに…
自からその可能性を断ち切るなんて。

心菜の両親のように生きたくても生きられなかった人だっている。

助かる命を無駄には出来ない。

私が、この部屋を出て行かなければ…

心菜はそう思うだけで目頭が熱くなり、今にも涙が溢れそうになる。

「そろそろ目を覚まして現実を見た方が良いわよ。で、いつ出て行って貰える?」

中山の言葉は容赦無く心菜の心に突き刺さる。

「あの…少しお時間を、頂けませんか…?」
唇を噛み締めてどうにか言葉を絞り出す。

さっきまで幸せの中にいたはずなのに…

一瞬で足元が砂のように崩れていく感じで今にも倒れそうだ。

「そうね。気持ちの整理も必要でしょうし1週間だけ猶予をあげる。」

「…分かり、ました。

あの、蓮さんには私から伝えたいので…今日の所は…帰って頂けないでしょうか…。」

心菜の目から涙が一雫、零れ落ちる。

麻里奈は気にも留めない風に、
「分かったわ。貴方が上手に居なくなってくれた方が、手間がかからないわね。」

そう言って、
心菜が入れたコーヒーに口も付けずに、立ち上がり玄関に向かう。

「ああ、忘れてたわ。これ、蓮のお父様から預かってたの。
500万あるわ、1人になるといろいろ入り用でしょ。」
重たそうな紙袋を突き付けられる。

心菜はそれをぼぉーっと見つめ、
TVドラマでよく観る手切れ金という物だと頭の片隅で思う。

「受け取れません。
私は私の意思で…蓮さんにさよならを伝えます。…それを貰うと言わされた事になってしまいますから。」
深く頭を下げて麻里奈を見送る。