「それなら、ちょうどよかった。出来ればこの機会に、あなたから受けた誤解も解いてしまいたいのでね」
「私は誤解など、何もしておりませんけど?」

 引き寄せられた距離が近すぎるせいで、紅い目がじっと見つめるのに逃れられない。

「あなたから仲良く接していただけないのは、寂しいものです」
「誤解があるのは、リシャールさまの方ですわ」
「それはどうして? 私はこんなにもあなたをお慕いしていると……」

 ドン! 大きな爆発音。
聖堂の内部から吹き出した爆風が、一階実験室の全ての窓ガラスを吹き飛ばす。
白煙が立ち上ったかと思った瞬間、オリブの実の焼け焦げたような臭いが、辺りに充満した。
乙女たちの悲鳴が上がる。

「マレト、すぐに避難指示を」

 リシャールは私の肩をマレト施設長に押しつけると、聖堂に向かって走り出した。

「待って、リシャール!」

 彼の向かう先に、火の手が見える。
白く沸き立つ煙は、あっという間に黒く色を変えた。
中にいた者たちが、一斉に外へ飛び出してくる。
リシャールは迷うことなく、火元である実験室へ向かっている。
私もそこへ走った。

「出入り口はここだけか?」

 追いついた私に、彼が尋ねる。

「もう一つ、奥にもあるわ」
「ならいいだろ!」

 彼は入り口を塞ぐ扉を、一撃で蹴破る。
実験室の中は、爆風の吹き荒れたせいで物が散乱していた。
燃えさかる炎の前で、まだ残っていた数人の生徒たちが、火を消そうと躍起になっている。

「すぐにここを出なさい! 身の安全が先だ」

 彼はすぐ横にあったすり鉢を持ち上げると、火の上にかぶせた。

「さぁ、早く!」

 残っていた少女たちが走り去る。
様々な器具や薬品を並べた実験棚の向こうに、飛び散った炎が散在している。
それなのにまだ残って何かをやっている生徒がいる。

「リンダ!」

 彼女は脚立の上に立ち、複雑にくみ上げた実験装置の、最上部にある瓶に手を伸ばしていた。

「君もすぐ逃げなさい!」
「ダメよ! この薬品は、世界でここにしかないものなの。長い時間かけて、ようやく抽出したものなの。だから置いていくわけには……」

 パリンとガラスの割れる音が聞こえる。
炎に煽られ、熱に耐えきれず割れた薬瓶から液体が流れ出す。
そこにも火がついた。

「リンダ! もういいから、そこから降りて!」

 伸ばしきった震える指先が、茶色のガラス瓶に触れた。
彼女は実験装置からその器具を外すと、素早く栓を閉める。
ドン! 再び強い爆風が駆け抜けた。
前が見えないほどの白煙が立ちこめる。

「リンダ!」

 さっきまですぐ目の前にあった、彼女の姿が見当たらない。
煙の中に飛び込もうとした私の腕を、リシャールは掴み引き戻した。

「これ以上は無理だ。ルディ、とりあえずここを出よう」
「ダメ! リンダを置いて行けない!」
「君の安全の方が先だ」

 リシャールは私を抱きかかえると、入って来た扉へ向かって動き出す。

「いやぁっ! リンダと一緒じゃなきゃ、ここから出ない!」
「落ち着け!」

 燃えさかる紅い目が、私を入り口の廊下へ押しつけた。

「君は王女だ。しかもこの聖堂に通う、将来は聖女となる希少な存在だ。こんな火事なんかで、聖女となる人を失うわけにはいかない」
「私は聖女なんかじゃない。私は聖女なんかじゃないの!」

 ポケットに忍ばせていた、樹液の結晶を取り出す。
聖女となる者が触れれば光るはずのそれは、無惨なまで白く濁ったままだった。

「聖堂に通う乙女としての資格はなくとも、王女という肩書きだけで私はここにいるの。他のみんなはちゃんと本物よ。リンダも! だからこそ、私が彼女たちを助けに行かなくちゃならないの!」

 再び煙の中に飛び込もうとした私を、リシャールは強く引き戻す。

「だとしても、この国の王女であることに変わりはない」
「あなたも王子ですわ!」
「俺はいい」
「どうして!」
「いいから、ここで動くな!」

 紅い髪が再び煙の中へ飛び込んでゆく。
すぐに追いかけようとした私を阻んだのは、城を守る兵士たちだった。

「ルディさま。早く避難を!」
「放しなさい!」
「それは出来ません」

 どれだけ振り払おうとしても、私の力ではどうにもならない。

「中に、中にリシャールさまとリンダが!」
「我々にお任せください」

 駆けつけた兵士たちが、次々と白煙立ちこめる実験室へ飛び込んでゆく。
有無を言わさず屋外へ連れ出された私には、もう見ていることしか出来ない。
誰よりも彼女たちの側にいて、必ず守ると誓ったのに!

「ルディさま!」

 マレト施設長が、震える手で私を抱きしめた。
いつも穏やかな彼女が大粒の涙をこぼしながら、ただただ声を殺し泣いている。