二人でお酒を飲みたいね。

 不器用に茶碗にご飯を盛る。 そして作っておいた煮物を、、、。
(康子が居たら、、、。) 別れておいてそんなことを考えている。 まだまだ母親に甘えたいのかね?
確かにあいつは賑やかな女ではなかった。 でも居るだけで雰囲気を変えてしまう女だった。
色っぽいとか色っぽくないとかいうのは分からないけれど、でもそれなりに存在感は有ったんだよ。
町内会の人たちが来ても話しているのはたいてい康子だったし、、、。
役所に文句を言うのも康子だった。 俺は何をしてたんだろう?
ただ働いて給料を運んできただけだったのかな? 侘びしいもんだねえ。
何やかやと考え事をしながら飯を食う。 テレビが何かを騒いでいる。
最近は付けているだけで見てないから誰が誰なのかさっぱり分からないよ。 梨のお化けも見なくなったしねえ。
食べ終わったら一休みして飲み始める。 飲むと言っても一杯だけ。
摘まみは特に用意しない。 康子が居たら作ってくれてたのにね。
ああ、さらに侘びしくなるじゃないか。 五十路男の釣れない恋の話でも聞いてくれるか?
って誰に言ってるんだよ?

 寝る時には買っておいた抱き枕を横に置く。 っていうか、いつも置いてあるからそこに寝るだけ。
あーあ、これじゃあダメ親父の見本を晒してるようなもんじゃねえか。 だらしないなあ、まったく。
 夢も何も無い恋も実らないおっさんの戯言を誰が聞くかってなあ。
そうやって今夜もブツブツ言いながら俺は目を閉じるんだ。

 さてさて、忙しいのか暇なのか分からないが兎にも角にも土曜日になりました。 早いもんです。
待ち合わせは午後7時。 駅前のあの店。
俺はなぜかさっきから緊張しまくりなんだ。 別れた奥さんと久しぶりに会うんだから。
康子のほうは何とも思ってないらしい。 さすが度胸が有るなあ。
6時には駅前に着いていて俺はあちらこちらを見て回っている。 まったく落ち着かないのだ。
あの店はもう開店していて烏賊が焼ける美味そうな匂いが漂ってきている。 先に入って飲んでいてもいいのだが、どうも一人では入りにくい。
康子が来てからそれとなく知っている振りをしよう。 そう思っている。
なんとまあ、気の小さい男か、、、。 我ながら情けないじゃないか。
ロータリーを車が駆け抜けていく。 昔は一匹暴走族も居たはずだけど、、、。
そうだよなあ、やたらとエンジンを吹かして目立とうとしていたお兄ちゃんたち、何処に行ったんだろう?
 「こんばんは。」 そこへ康子がやってきた。
「お、お、お。」 「なあに?」
「いや、何でもない。」 「入りましょうか。」
康子は緊張している俺のことなど気にせずに暖簾を潜っていく。 「奥に座りましょう。」
彼女が指差したのは一番奥のボックスだった。 座るとすぐに店員がおしぼりを持ってきた。
「お飲み物は何になさいますか?」 「私はウーロン茶。 あなたは?」
「俺はビールで、、、。」 「畏まりました。 お待ちください。」
そしてやっと俺たちは互いの顔を見た。 「久しぶりね。」
「そうだ。」 「何緊張してるの?」
「そりゃあするよ。 しばらく会ってないんだから。」 「そう? 私はしないけどなあ。」
「度胸座ってんだなあ。」 「あなたが弱虫なのよ。」
康子は澄ましてメニューを見ている。 「これ食べようかな。」
やがて康子は店員を呼ぶとあれこれ注文を始めた。
 この居酒屋、結構前からやってるのは知ってたんだ。 でも康子と飲みに来るまで入ったことは無かった。
中は意外と広くて大人数でも賄えそうだな。 座敷も有るじゃないか。
冬になると鍋のサービスも有るらしい。 会社でも使おうかな。
 「お待たせしました。」 まずは唐揚げの盛り合わせである。
湯気を立てている熱々の唐揚げが皿いっぱいに盛られている。 それを摘まみながら俺は飲んでいる。
「あれからどうしてたの?」 「どうもしないよ。」
「彼女も居そうにないよね?」 「お前以上の女には会わなくてさ、、、。」
「そうなの? あなた以上の男には何人も会ったけどなあ。」
康子は意地悪そうに笑っている。 それがまた憎たらしい。
そこへ店員がイカ焼きを運んできた。 「特製のたれが有りますのでこれをお使いください。」
見るとなかなか美味そうなたれである。 「食べましょう。」
 今夜はなぜか康子にリードされっぱなしの俺である。 さっきから緊張しっぱなしだ。
店内ではあっちこっちで盛り上がっているグループが居る。 陽気な人たちだなあ。
「仕事はどうなの?」 「部署を代わったから何とも言えないよ。」
「え?」 「前は販売部で走り回ってたけど、今はカスタマーセンターなんだ。」
「お払い箱か、、、。 あなたも大変ね。」 「お前はどうなんだ?」
「私は管理部から人事部に移ったわよ。 おかげで大変。」 「何が?」
「やつをこっちに寄越すなとか、あいつをこっちに寄越せとか、我儘が多くてねえ。」 「そりゃあ大変だなあ。」
康子は2杯目のウーロン茶を飲み干すとカクテルを頼んだ。 「お前も飲めたっけ?」
「久しぶりに会ったから飲みたいのよ。 あなたと一緒に。」 そう言うと向かい側の椅子から隣に移ってきた。
「今夜はくっ付いてもいいでしょう?」 「そりゃあ、まあ、、、。」
「いいのか悪いのか教えて。」 「いいよ。」
俺は久しぶりに会った康子の髪を撫でてみた。 「一緒に居たころみたいね。」
「そうだ。 あの頃は毎晩甘えてたっけなあ。」 「あなたが甘えさせるんだもん。 しょうがないわよ。」
「俺のせいか?」 「そうよ。 みーんな、あなたのせい。」
カクテルを飲みながら康子は赤くなった頬を擦り付けてくる。 別れたとは思えないな。
「今夜はずーっとこうしていたいなあ。」 危ない香りがする。
でも俺は康子を嫌いにはなれなかった。 この魔女のような不思議な女を何処までも愛していた。
時には甘えん坊になり、時には女王になり、時には少女のように脆くなる。 変幻自在という言葉は康子のために有るのかもしれない。
 康子が珍しく2杯目のソルティードッグを注文した時、若い男が暖簾を潜って出て行った。
(何処かで見たような男だな、、、。) 丸刈りの頭、営業マンらしい振る舞いからして販売店の人間だろう。
すぐには思い出せなかったが、とにかく見覚えの有る頭だったのだ。
 やがて満腹になった俺たちは酔った顔で店を出た。 「タクシーでも拾うか?」
「暫くあなたと居たいわ。」 康子は俺の腕にもたれてくる。
別段、悪い気もしなかったから俺は康子を連れて部屋へ帰ってきた。