理緒が診察室を出ていったあと、
誠一郎はため息さえ出なかった。
本当は2週間後、大きな学会がある。
それにはかなりの準備が必要だった。
ここの大学病院の医局員も、数十名連れて行くし、医局員の発表する論文も見なければいけない。
誠一郎は座長を務めなければいけないので、
他の演者の論文にも目を通さなくてはいけない。
だから、外来は3日間ほど休診し、他の医者に任せようと思ってたくらいだ。
でも、理緒の事がいつも頭から離れないー
理緒がこの大学病院に来てから、誠一郎は、理緒の存在が次第に自分の中で、大きくなっていることに
気づかないフリをしていた。
わざと、冷淡で淡々とした態度を取って、理緒との距離を取っていた。
それが誠一郎の医者としての精一杯の誠意だった。
そうじゃなければ、距離感を見誤りそうだった。
患者に、個人的な感情を診察室に持ち込みたくないし、そうしなければ正しい診察も出来ない。
ただ、理緒に冷たくすることが、正しい診察とも思いえないだろう。
理緒は泣きながら
「トイレで泣くのも許してくれないなんて
私の親と一緒だ」
と言った言葉が、誠一郎の胸を刺した。
理緒は泣くことも許されない環境だったのか。
「どうせ診察室で泣いたらめんどくさがるくせに」
とも言った。
そんな事はないし、診察室で泣く患者は、精神科に限らず多くいる。
自分が理緒に冷たく当たっていたので、
理緒は、ここで泣かない、決心をしたのだろう。
そうさせたのは誠一郎の態度のせいだ。
理緒と極端に距離を取ったくせに、
「そろそろ本音で話をしてもいい頃です」
は、都合がいい言葉だった。

