「出過ぎた真似を致しました。もうしわけ――」

 とっさに頭を下げようとした瞬間、頬に手を添えられた。

「うつむくな」

 やんわりと上を向くよう促され、私は意を決してシリウスの顔を仰ぎ見た。

 てっきり呆れて怒っているものだと思っていたのに。

「どうして……笑っているのです?」

 穏やかな微笑と眼差しを向けられ、戸惑ってしまう。

「呆れていらっしゃるのでは、ないのですか……?」

「呆れてなどいない。ただ、少し困っている。アデルのせいで、俺はすっかり死ぬのが惜しくなってしまった」

 死という不吉な言葉に、私は息を呑む。
 
「歩きながら話そう」――と、シリウスが私の手を取り、薄暗い夜道を進み始めた。

「俺は幼い頃、貧しい者だけが不幸だと思っていた」

 手を繋ぎ歩きながら、シリウスがそう話を切り出す。

「だが、ある少女と出会い、俺は自分の考えが間違いだと悟った。彼女は貴族令嬢で、表向きは幸せそうに見えたが、常に不安を抱えていた。『いつか力を失い、両親に捨てられるのが怖い』という言葉を聞いた時、俺はこの国を変えたいと願った」


 いつか彼女が力を失っても、心穏やかに暮らせる世にしたい。そう思い、出来る事をしてきたつもりだが……。一番肝心の彼女は、もういないと、シリウスは寂しそうに語った。
 
 
 彼の話す『彼女』は、きっと自分のことだ……。シリウスはやはりシリィだったのだと、この瞬間、私は確信した。