ザキエルは、彼女にとって必要な人間ではない。

 そもそも彼女は一人で生きていくだけの力を持っている上に、彼女はこうして沢山の人に好かれている。ザキエルがいなくとも、彼女を助けたいと思う人間は沢山存在しているのだ。しかも、ミシェルはきっと、ザキエルのことを特別視していない。心情的にも、いてもいなくてもいい人間である。

 それでもこの宮に留まっていてもらっているのは、ザキエルがどうしても彼女と一緒に居たいからだ。

 けれども、そんな彼のわがままで、未婚の女性である彼女を、不要に長く()()として留めておくのはよくないだろう。

(……彼女に、王太子宮での()()を与えれば、もうしばらくこのまま……)

 そう思った時期もある。
 例えば、ミシェルが建物内にいれば、ザキエルは使用人たちとこうして話をしたり、他の女性と逢瀬をすることさえ可能だ。だからザキエルは、彼女にザキエルの魔力暴走を抑えるという仕事を与えることも考えた。

 しかし、ザキエルはミシェルに惚れてしまっているのだ。その姿に、その内面に、その笑顔に、完全に心を奪われてしまっている。
 それなのに、常に彼女が近くにいる状態で、彼女に心の内を明かすことなく過ごす。
 場合によっては、他の女性と逢瀬をし、結婚し、一生を……。

(拷問か!)

 ザキエルは、胸の内で燃える恋心が大きすぎて、ミシェルの心を得られないのであれば、彼女の近くにいることはできないと感じていた。
 そして、そうであるならば、ザキエルはミシェルに、ザキエルのことをどう思っているのか問いかけるべきなのだろう。これから先、彼女の意思で共にいてくれるのかどうかを決断してもらい――難しいのであれば、距離をとらねばならない。

「乗せられた訳ではないが……求婚は、しようと思う」

 ワッと歓声が起きて、ザキエルは苦笑いをする。
 「殿下、ここが気合の入れどきですよ!」「プロポーズの場所はどこがいいかしら!?」と楽しそうな彼らの様子を見て、ザキエルはポツリと呟いた。

「振られたら、お前たちともこうやって話すこともできなくなるな」

 静かに落ちた言葉に、使用人たちは石のように固まる。

 ザキエルの天敵聖女であるミシェルがいたから、使用人たちはこうしてザキエルの周りに侍ることができている。
 しかし、ザキエルがミシェルに振られ、気まずいからとミシェルがこの館を出て行ってしまったら、この王太子宮は元に戻ってしまうのだ。使用人たちはザキエルに近づくことができず、執事が魔道具越しに話をする程度の状態となってしまう。

「ミシェルが来てから三ヶ月。彼女自身と過ごすことができて、私は幸せだった。だがそれだけではなく、私はお前たちとこうやって話ができていることが、思った以上に嬉しかったらしい」
「……殿下」

 驚きのあまり、言葉を続けることができない使用人たち。
 冷鉄魔王と呼ばれ、魔力を抑えるべくほとんど微笑むことのなかったザキエルは、使用人たちの前で顔を綻ばせた。

「みな、いつもありがとう。私はこんなにも良い人間に囲まれていたんだな。彼女への求婚がうまくいかなかったとしても、許してほしい。例えこうして直接話ができなくなっても、私はお前たちにいつも感謝しているよ」

 水を打ったように静まり返った室内。
 反応がないことに不安を感じたザキエルは、ソワソワとみなの顔を窺う。

 すると、侍女たちはみな一様に泣き始めてしまった。
 他の使用人たちも、涙目でザキエルを見ている。

「わたしたちも、殿下をお慕いしています……!」
「ミシェル様だって、きっと受け入れてくれるはずです」

 そんな応援を胸に、ザキエルはミシェルに求婚することにしていた。
 その矢先に、この遠征命令だ。

(……振られたら倒れる自信がある。戦場でミスをしかねない……)

 そう思ったザキエルは、ミシェルへの求婚は遠征後に行うこととした。


 そして、遠征先のザキエルに、凶報が入った。


 それは、聖女ミシェルが崖から落ちて、行方不明になったという知らせだった。