喜びは束の間だった。
 ザキエルはミシェルに意地悪だった。「俺は君のことを、ほとんど知らない」「俺に話を聞くより、ヒューバートに聞くといい」「君の歓待はありがたいが、もう不要だ」と、ことごとくミシェルを追い払おうとするのだ。
 ミシェルは、ザキエルに拒絶されるたびに、引き裂かれるような胸の痛みに泣きそうだった。

 そんなある日、ザキエルがこんなことを言い出した。

「三日後に、この村を出る」
「……え?」
「準備もあるから、もうここには来なくていい。ミシェル、今までありがとう。幸せに過ごしてくれ」

 あっさりと告げられた今生の別れに、ミシェルは目の前が真っ暗になった。足元から全て崩れ落ちるような絶望感で、手が震える。
 けれども、そんなミシェルを視界に入れることなく、ザキエルは去っていった。

(あの方は、わたしに興味がなか……)

 そう思うと辛くて苦しくて、ミシェルは初めて、自分でもよく分からないこの気持ちのために泣いた。
 ミシェルは田舎娘だ。自分の力が及ばないことなのであれば、受け入れる。受け入れた上で、前向きに生きていく……。
 そのはずなのに、不思議なくらい、上手く気持ちの整理をすることができなかった。
 ミシェルは生まれて初めて、どうしても諦めたくないものを見つけてしまったのだ。叶わないと分かった今、それを自覚してしまった。

 泣き腫らした目をしているミシェルの頭に思い浮かんだのは、村長の家に飾ってあった赤い花の絵。この国の村ではかならず一枚は飾ってあるというその絵。戦勝の花である、真っ赤な(すみれ)――ザイラバイオレット。

(最後に、あの花を……)

 何か、思い出せそうな気がする。

 赤い、花。
 男の人の影。

 ――を、好きなんだろう?

「急がなきゃ」

 こうしてミシェルは、崖近くに沢山咲いているというザイラバイオレットを摘みに、朝から出かけたのである。