ミシェルは記憶を失っていた。
 どうやら、崖から落ちた際に、頭を強く打ったことが原因らしい。

 ザキエルは、王都で一番の医者を連れてきて、ミシェルの診療をさせた。
 彼女は困惑していたが、これだけは許してくれとザキエルに頼み込まれて、よく分からないままに頷くこととなった。

「ミシェル、どうもありがとう」
「ザキエル様は不思議ばい。お医者様に診てもろうて、助かるのはわたしなのに、ザキエル様がお礼を言うんです?」
「医者に診せたいというのは、俺のわがままだからな」
「ふふっ。どうもありがとうございます」

 花が綻ぶような笑みに、ザキエルは全てが報われたような気持ちになった。
 ミシェルが生きていて、怪我はしているものの元気に歩くことができて、こうして話をしてくれている。
 ザキエルは、心の底から満足していた。これ以上、望むことはない。

 ザキエルはこの二週間、『ちょっとお金持ちの騎士』として村長の家に泊めてもらっていた。村人たちはザキエルの正体を知っているが、ミシェルには知らせないよう厳命してある。
 また、ロッカ村にいたミシェルと思しき女性は、()()()()()()()()()ではなかったという噂をまいた。『殿下と聖女をくっつけ隊』の暴走を恐れてのことだ。

 ミシェルには会いにいかなかった。
 花も贈らなかった。
 恋人がいる彼女に、未婚のザキエルがそんなふうに近づいたら迷惑だと思ったからだ。
 その代わり、ザキエルは医者を手配し、滞在している謝礼として村に多額の寄付を行った。ミシェルが負担に思わない形で、彼女のために何かしたかった。

 そうして、ザキエルはミシェルに会うことなく村を立ち去るつもりだった。

 しかし、そんなザキエルの目論みは成功しなかった。
 なんと、ミシェルの方から、ザキエルに会いにきたのである。

「ザキエル様、こんにちは。今日もお元気ですか?」
「……ああ、こんにちは。俺は問題ない、君はどうなんだ」
「傷ん痛みも無うなってきて、元気いっぱいです」

 ミシェル曰く、彼女は怪我人なので、手伝えることが少ないらしい。
 なので、村長に何かできることはないか聞いたところ、客人の相手をしてほしいと求められたのだとか。

「村長が……まったく、余計なことを」
「……わたしが相手ではお嫌でしたか? すみません」
「いや待て! 違う、君に問題がある訳ではない。だが、君には恋人がいるのだから、俺と二人で頻繁に話をするのはよくないだろう」
「恋人?」

 キョトンと目を丸くするミシェルに、ザキエルも目を瞬く。

「君はマイクという青年の恋人なんだろう?」
「えっ!? ち、違います! マイクさんは、身寄りのないわたしに優しかだけで、そぎゃん…… 」

 ふわふわのホワイトブロンドを振り乱しながら、ブンブン頭を横にふるミシェル。真っ赤になって恥じらう彼女に、ザキエルは()()()()()()を察した。

(ああ……まだ恋人ではなくとも、仲は良いんだな。恋人未満というやつか)

「そうか。俺の早とちりだ。すまないな」
「い、いえ……。それより、ザキエル様は記憶を失う前のわたしの事ば、ご存じなんですよね?」
「いや、知らないよ」
「え? で、でも」
「俺と君が一緒に過ごしたのは、たった三ヶ月間だ。俺は君のことを、ほとんど知らないんだ」

 それでも、ザキエルにとって、ミシェルと過ごしたあの三ヶ月は夢のようなひと時だった。
 思わず顔が綻んだザキエルに、ミシェルはほうと見惚れて動けなくなる。

「……ミシェル?」
「わ、わたし……また来らす!!」

 顔を真っ赤にしたミシェルは、ザキエルから目を逸らしたまま、そう叫ぶと村長の家を飛び出していった。

 突然置いてけぼりにされ、呆然とするザキエル。

「……また来るのか」

 そう呟くと彼は、ダメだと思いつつも、それはそれは嬉しそうに微笑んだ。