「――ジェフリー」

「兄さん! まずはよく帰ってきてくれた、大勝だったと聞いている。どうもありがとう!」

 玉座の間での帰還の挨拶もそこそこに、ザキエルはジェフリーの執務室で、人払いをして話をすることとなった。
 まずは帰ってきたばかりのザキエルを歓待するジェフリー。
 しかし、ザキエルには、そんな弟の気遣いを気にしている余裕はなかった。

「そんなことはいい。ミシェルは見つかったのか」
「……ミシェルのことは、本当にすまない」
「ジェフ!」
「まだ、見つかっていないんだ」

 その返事に、ザキエルはギリリと歯を食いしばる。

「どうしてそんなことになった」
「……兄さん」
「なぜ、彼女が崖の際に近寄ることになった。彼女と最後に話をしていたのは、ジェフリー、お前だと聞いた。――何の話をしていてそんなことになったんだ!」

 ザキエルの言葉と共に、執務室に冷気が吹き荒れる。
 国王の執務室は魔法的な防衛策が敷かれているため、壁や、重要書類がしまわれている棚、執務机が破壊されることはなかったが、窓ガラスにはヒビが入ったし、ソファの布地は全て破れたし、机の上に置いてあった国王専用の希少な文具は全て凍りついていた。

 しかし、ジェフリーは、その影響を受けなかった。

 弟であるジェフリーは、母とともに、ザキエルの魔力暴走の影響を受けない数少ない人間の一人だった。
 母と弟は影響を受けないのに、父はザキエルのせいでよく凍傷になる。父が今際の際まで愚痴を言っていたのは、家族で一人だけ仲間はずれにされたという理由もあったのである。

「兄さん、本当にすまない。そして、落ち着いて聞いてほしい」

 ジェフリーは、ザキエルの起こしたブリザードが自分を害しなかったことにホッとした様子をみせつつも、その顔は血の気がひいたままであった。

 ザキエルは、大人になってからというもの、戦場以外で怒りや憤りといった感情を顕にすることはなかった。
 自分が感情を爆発させることで何を引き起こすのか、深く理解していたからだ。
 それに何より、ザキエルは弟であるジェフリーに甘かった。

 そのザキエルをしても、怒りを抑えることができずにいる。
 彼から吹き荒れる冷気は、彼の怒りと喪失感の凄まじさを示しており、そしてジェフリーは、誰よりもそのことを理解していた。

「ミシェルが最後に居た場所は、シュガーレンの花園だ」
「彼女を呼び捨てにするほどの仲なのか」
「……聖女は、兄さんの無事の帰還を祈って、戦勝の花であるザイラバイオレットを摘みに行っていた」

 まさかの事実に、ザキエルは頭を殴られたような衝撃を覚える。
 彼女が事故に遭うような危険な場所に足を踏み入れたのは、ザキエルのためだというのか。

「……それで」
「僕は聖女と二人で話がしたかった。だから、好都合だと思って、その花畑に足を運んだんだ。花畑で、人払いをして話をした」
「何の話を」
「それは言えない」
「ジェフリー!」

 またしても、執務室に吹雪が吹き荒れる。
 しかし、ジェフリーは怯まなかった。

「話が終わった後、聖女は崖近くにひときわ美しいザイラバイオレットが咲いているのを見つけた」
「それを取りに行って、崖から落ちたとでも言うのか」
「止めるべきだった。声をかける間も無く彼女は駆け出して……」
「ジェフリー」

 ザキエルは、冷酷魔王の象徴と揶揄される、煮えたぎるような血の色の瞳で弟を見据える。

「その言葉に嘘はないな」

 常人ならば、向かい合うだけで震えあがるようなその視線を、だがしかしジェフリーは真っ直ぐに受け止めた。

「もちろんだ。僕は兄さんに嘘はつかない」

 しばらく見つめ合っていた二人だったが、目を逸らしたのは意外にもザキエルだった。

「分かった」

 それだけ言うと、ザキエルは踵を返して執務室の扉に向かう。

「……兄さん!」
「ミシェルを探す。しばらくは戦場には出ない」
「…………分かった」

 ザキエルは執務室を出て行った。

 ジェフリーは、「くそッ」と吐き捨てると、執務机を拳で叩いた。