「聖女召喚だと?」



 その日も戦場に立っていたザキエルは眉尻を上げた。
 報告を上げた部下も、苦虫を噛み潰したような顔をしている。

「はい。なんでも、殿下に対抗できる人材を召喚しようとしたようで……」
(むご)いことを」

 それだけ吐き捨てると、ザキエルは戦いの痕も新しい血塗れの王城の中を、国王の間と思しき場所を目指して足早に進む。

 聖女召喚。
 その言葉だけ聞くと何かの神聖な儀式を指すようではあるが、実際のところは人さらいである。
 適した能力のある者を、問答無用で召喚陣の上に呼び出す。

(帰ることができる場所から呼び出された者であればよいが)

 召喚された者は、普通は困惑し、元の世界に帰りたがる。
 帰りたがらない者は、元の世界で何かを()()()()()社会不適合者である。家族に虐待されていたり、民衆が圧政に苦しんでいたりと、社会の方が悪い場合はいいのだが、そういうケースは稀だ。

 そして、この召喚魔法の最も非道なところが、召喚された者を元の世界に返す手段がないところだ。

 誘拐し、帰りたがる被害者を元に戻す術がない。
 そんな非常識なこの召喚術は、禁術とされていたはずだ。
 それを使うなど、国際法違反である。
 まあ、違反した国の王朝、ザキエルの国に侵攻してきた愚かなるルーデン王国は、たった今、将軍ザキエルの手で攻め返され、崩壊したのだが。

「それで、召喚された者は」
「健康状態に異常なし、精神状態も落ち着いています。どうやら異世界から来たのではなく、この世界に元々住んでいた者のようです」
「それは重畳。しかしまさか、ここまでの暴挙に出るやつがいるとはな」
「それだけ殿下は脅威だということですよ」
「……チッ」

 小国が乱立するこの一帯では、小競り合いの戦争が後を立たない。
 一進一退、大きく秀でた国がないからこその均衡。
 しかし、それを大きく変えてしまったものがある。

 ザキエルだ。

 どうにも彼は、生まれながらにして持っていた魔力が少々多過ぎた。
 赤子のときから、笑えば花が咲き泣けばブリザード、拗ねれば《威嚇》が発動し、影響を受けずに近づけるのは母のみであった。父は近づけなかった。父は死の間際まで、赤子のザキエルに近づけなかった恨みをザキエルに言って聞かせていた。粘着質だった。

 生きるのに不便なザキエルのこの魔力は、国を守るのに大きな効果を発揮した。
 彼が戦場に立ってからというもの、彼の国は負け戦を経験したことがない。

 しかし、そのことが、今回の悲劇を生んでしまった。

(売られた喧嘩は買ったけれども、我が国から他の国に攻め入ったことはないというのに……)

 存在するというだけで、近隣諸国に恐怖を与えてしまっているということなのだろう。
 ザキエルはため息をつきながらも、足の速度を早める。

 本日墜としたばかりの敵国の城の中。
 進んだ先に、国王の間と思しき部屋が見えてきた。
 扉は既に開け放たれている。

 広間では、置かれた官僚用の椅子が無秩序に捨て置かれている。
 最後まで協議を重ねていたのだろうが、どうやら最後は慌てて逃げ出したらしい。

 つまらないことだと思いつつも、広間の様子をぐるりと見渡したザキエル。
 そんな彼の目に、打ち捨てられた椅子の一つに座っている、ふわふわとした柔らかそうなホワイトブロンドが映った。

(……?)

 何故だか心惹かれるものを感じ、ふらふらとそのホワイトブロンドに吸い寄せられていくザキエル。

 将軍であるザキエルが近づいたせいだろう、近くの兵士たちがこちらに向いた。

 そして、周りの者たちが彼の方を見たせいだろう。

 その金糸がふわりと揺れて、クリクリした水色の水晶玉がこちらに向けられた。



「あら、こんにちは。どちらさまと?」



 鈴の鳴るような軽やかな声だった。

 ザキエルはそう言われた瞬間、雷に撃たれたようにその場に立ちすくんだ。

 心臓が跳ねる。

 血の巡りが早くなり、息をするのも難しい。

 彼女がこちらを見ていると思うと、体が動かなくなる。


「ど、どぎゃんしたと!? 顔色がおかしかばい」


 周りが止める間もなく、タタッとザキエルに駆け寄る彼女。

 近い。

 ザキエルを心配しているせいで、彼女の瞳が不安そうに揺れている。


 そして、彼女が、ザキエルの額に、その小さな手を当て――。




 ザキエルは、気を失った。



 悲鳴が上がった。



「殿下ぁあー!?」
「き、救護班! 早く来い、ザキエル殿下が!」

 慌てふためく周囲。

 真っ青になる彼女。

 「う、うち、何かしたと……!?」

 涙目で震える彼女は、倒れ込んできたザキエルに巻き込まれ、床に座り込んでいた。
 ザキエルは身長190センチで、かなり体の大きい方だ。身長158センチの細身の彼女に支えきれるはずはなく、周りの兵士たちが支えなければ、危うく彼女は怪我をするところであった。

 そんな非力な彼女であるが、ザキエルを目の前で昏倒させてしまったのも事実である。

 周りの兵士たちは動揺しつつも、彼女を、泣く子も黙る将軍ザキエルを倒した敵国の重要人物として、そのまま別室に、丁重に軟禁した。

 そして一時間後。
 目を覚ましたザキエルは、彼女の前で犯した失態に身悶えし、軟禁されているという彼女のところに飛ぶように駆けていった。


 ザキエル=フロル=ザイラ。
 ザイラ王国における王太子にして王兄。
 近隣諸国で冷徹魔王のあだ名で呼ばれる将軍でもある彼の、これが初恋であった。



 ――冷徹魔王ザキエルに対抗できる人物を召喚する。



 聖女召喚は、正しく機能したのである。