その8
剣崎



気が付くと先日と同じように、西日が大きな窓から差していた

二人は窓を左側にして、壁にもたれ並んで床に腰を下ろした態勢で、数時間話をしていた

俺の知るべきことはほぼ全部、彼女から告げられたよ

「…ミカさん、よく話してくれた。すぐ組に戻って、会長に話す。そうだな、今週中には具体的な計画を練ってここに持ってこよう。それと、相和会の人間も寄こす。万一の場合は、君から”連中”を排除するから心配はいらない」

「剣崎さん…!なんてお礼を言っていいのか…。私、待った甲斐がありました。祖国には私を照らす光があった…。嬉しい…」

まさに彼女は、涙声で俺に吐き出してくれた

素の感情そのままに…

...


本当の感情を吐き出せないこと

それが、どんなに苦しいことか…

俺はこの時、ミカという二十歳になったばかりの女に教えられたと言っていい

アメリカで生まれ育ったミカは、その異国の地であまりに過酷な境遇に身を置きながら、そこから抜け出すために自らの心を抑え、決してそれを表に出さない日々を貫いてきた

更に、一方的に籍を入れられた好きでもない夫であるアメリカ人の男にも、本心に反して愛しているフリで接し続けた

すべては”敵の目”を欺くために…


...



彼女は長い時間をかけ、”仮の姿”を夫に植えこんでいった

夫は若くかわいい日本人の妻を、”仮の姿”の仮面ごとで愛し、信用を置くに至る

そいつの仲間どもは、先の大戦での憎っくきジャ○プ女も、アメリカ人(WASP)の妻の座を与えることで”教育”できたと信じ込んでしまったと…

白人至上主義者の自分たちに都合の良いように振る舞う若い日本人妻は、いつしか奴らの界隈では、成功モデルケースとして据えられるようになったようなんだ

そんなミカを、奴らは積極的に社交の場へかり出していたらしい

そしてそのミカは、皮肉にも辛い現実の中で、役者顔負けの”演技力”を身につけることとなった…

...


SJPOにターゲットとしてショットされたN氏は、母国日本で所有する不動産だけは何としても守り抜きたい…

そう決意し、日本に帰国したN氏には、多くの”勧誘”が舞い込んできたそうだ

言うまでもなく、その中の複数は”敵”の回し者で、後から判明したところ、関西広域組織傘下のやくざI組も含まれたいた

だが、それらに抱きこまれることがなかったN氏は、第2次世界大戦時、戦友として知り合って以来、親交のあった相馬さんに相談を持ちこんだ

相馬会長は即断し、相和会はN氏の依頼を受けることになった

かくて、北九州市の中心地にあるビルの所有を巡って、正攻法に法廷闘争に持ちこんだ我々は、勝訴を勝ち取り、当該ビルの占有者排除に取りかかった訳だ

そのビルを占有していたのが、同じくアメリカで材を成した父親をSJPOに餌食とされた鹿児島ミカだったことで、当該ビルの立ち退き作業は一転、占有者の保護、逃亡ほう助に方向転換することになる…


それはイコールで、我が相和会のその決断が、関西広域組織との全面戦争を覚悟した決行に他ならなかった…