だから、先代から母親に引き継がれた翌年にはお客様が離れて行ってしまい、それを従業員のせいにした母は、十年ほど前に大規模なリストラをした。
私を可愛がってくれた仲居さんや調理場担当の人たちは、このときに全員辞めさせられた。
昔から続く〝白川楼〟の中身を知る従業員がほとんどいなくなった旅館は、もう老舗でもなんでもなく、結局お客様は戻ってこないままだ。
「一年前?」と呟くように聞く有沢にうなずく。
「うん。なにかしらきっかけがあったんだと思う。役所には不受理届も出してあるし、地元の知り合いに私が今住んでいるところを知っている人はいない。だから大丈夫だって思い込もうとしたんだけど、日が経つうちにどんどん不安になって……なんかもう、こうなったら違う誰かと結婚しちゃった方が楽になれるんじゃないかなって」
母親からのしつこい連絡が途切れず三ヵ月、半年と時間を重ねるうちに、どんどん恐怖が大きくなった。
そのうちに、興信所だとかを使えばすぐに住所なんてバレるんじゃないかと思い至り、そうしたらいつ母親が部屋まで来てもおかしくない気がして、インターホンが鳴るたびに心臓がビクッと跳ねるようになった。
話が通じる人じゃないことは、よく知っている。
しかも、父親が不倫相手との間に作った私を恨んでいることも。



