それからさらに四日が経った。相変わらず、ユリアーナからはなんの音沙汰もない。
 ……まぁ、三日後には新学期が始まる。それに明日は進級手続きの最終確認のため、二年生はみんな学園に行くことになっている。そこで必ず、ユリアーナと顔を合わせることになるだろう。その際に、僕が学期末パーティーで彼女に抱いた違和感の正体を確認したい。
「クラウス様、エーデル家よりお便りが届いております」
「……エーデル家から?」
 屋敷のテラスでぼーっとしている僕に、侍女が一通の封筒を渡してきた。侍女が場を去ったのを確認して、僕は金色のシールが貼られた、高級な紙で作られた封筒をじっと見つめる。
「やっと送ってきたか。遅いんだよ」
 口では悪態をつきながらも、僕の口角はなぜか上がっていた。この前僕を追い返したことへの謝罪か、体調がよくなったという知らせだろうか。
どちらにせよ、ユリアーナが僕に手紙を送ってくるときはいつも鬱陶しいほど僕への愛が綴られている。いつもはまともに読んでいないが、今日は気分がいいから読んであげよう。
 シールを剥がすと、中には一枚のメッセージカードが入っていた。
「……これだけか? ずいぶん短いんだな」
 僕はカードを取り出し、簡潔に書かれたメッセージを読む。
「えーっと……私、ユリアーナ・エーデルは、クラウス・シュトランツ様との婚約を正式に破棄させていただくことにしました――」
 呼んでる途中に、理解が追い付かなくなる。
 ――なんだって? 婚約破棄? しかも僕からでなく、ユリアーナから?
 手からこぼれ落ちそうになったカードを持ち直すと、もう一度しっかり目を通す。何度読んでもそこには、ユリアーナから僕への婚約破棄を告げる内容しか書かれていない。
 元々僕たちの婚約話でメリットがあったのは、シュトランツ家より身分の低いエーデル家のほう。こっちが破棄されたところで、なんの支障もない――が。
 あんなに僕を追いかけていたユリアーナがなぜ、いきなり手のひらを返すのかが理解できない。意味不明な出来事の連続に、僕は頭を抱える。
 父上にも、僕とはべつにエーデル伯爵から直々に婚約破棄についての知らせが届いていた。父上はまったく気にも留めていない様子で『お前も乗り気ではなかったし、よかったな』と笑っていた。
 以前の僕だったら、素直に喜べていたと思う。しかし、どうも納得がいかない。彼女がいつ、ここまで心変わりをしてしまったのかがわからないからだ。
 ――明日、直接ユリアーナに聞いてみよう。こんなのはあまりにも自分勝手で一方的すぎる。
 
 次の日。学園へ行くと、さらに衝撃的な事実を知ることになる。
「ユリアーナ様、学園を退学なさったんですって!」
 いつもユリアーナにひっついていた取り巻き令嬢のひとりが、声高々にそう言ったのだ。周りからはどよめきが起こり、僕の思考は一時停止した。
「俺の父様がエーデル家と親交があるんだけど、聞いた話によるとユリアーナ嬢は貴族をやめて侍女になるって……。なんでも、領民に寄り添ってこれまでの行いを改めたいとか…」
「あのユリアーナ様が!?」
「あのユリアーナが!?」
 おもわず僕も叫んでしまい、ユリアーナの取り巻きと見事に声が重なってしまった。周りの視線が、一斉に僕へと集まる。
「クラウス様は、婚約者だからなにか聞いていますよね?」
「え……いや、その……」
 取り巻きに聞かれ、僕は口ごもる。だって、なにも聞いていない。さらに言うと、もう婚約者でもない。
「そういえば、最後に見たユリアーナ嬢、雰囲気が違ったよな」
 なんと言おうか悩んでいると、ひとりの男子生徒が、なにかを思い出したように話し始めた。
「いつもはクラウス様以外に絶対に笑顔を見せなかっただろ? それなのに、すれ違った俺ににこって微笑んできたんだよ」
 周りから「えぇーっ!」と驚きの声が上がるが、僕は声すら出なかった。
 ……ユリアーナが僕以外の男に笑顔を向けるだと? そんな場面、これまで一度も見たことがないというのに。なにかの間違いとしか思えない。
 僕の知らないところに、僕の知らないユリアーナがいる。彼女はいったい、なにを考えているのだろうか。
 昔は透けて見えたユリアーナの頭の中が、急になにも見えなくなった。
「クラウス様、あの……大丈夫ですか?」
「え……?」
 声がしたほうを見ると、隣にリーゼが立っていた。
「クラウス様を見つけたので挨拶しようと思ったんですけど、とても顔色が悪いからびっくりて……。ユリアーナ様もいろいろあったみたいだし……なにかあったんですか?」
 心配そうな顔をして、リーゼが僕を見上げる。そんなに顔色が悪かったのだろうか。体調は良好なはずだ。だけど、気分は最低といえる。
「いや。心配ない。……でもそうだな。あまり気分がよくないから、今日はすぐ帰るよ」
 僕はリーゼにそう言って、手続きを終えると誰とも会話することなく屋敷へ戻った。本来ならあのあと、みんなで集まってお茶会をすることが多いのだが、ゆっくりお茶を飲む気分には到底なれない。
 ――婚約破棄。退学。貴族をやめて侍女になるだって?
 ユリアーナの不可解な行為は僕を悩ませ、胸のモヤモヤをどんどん広げていった。加えて僕以外の男に笑いかけるなんて……想像すると、なんだかイライラする。