『それではごきげんよう!』
 会場に彼女の明るい声が響いた。そして、かつて見たことのない太陽のような眩しい笑顔を残して、赤い髪をなびかせながら去って行く。
 彼女――ユリアーナは、僕の婚約者であるエーデル家の伯爵令嬢だ。綺麗な見た目をしているが、性格はどうしようもないほど悪く、周りからの評判も決していいとは言えない令嬢だった。
自分が好きな相手と、自分に媚びを売る相手にはそれなりな態度で接するが、下に見ている相手への態度は見るに堪えないほどひどい。僕は、そうやって人によって態度を変える彼女のことをあまりよく思っていなかった。いくら僕を慕ってくれていたとしても、彼女の中身を好きになれなかった。
 さっきも、ユリアーナがわざとリーゼに近づいたのを察して、僕はリーゼを助けにいった。リーゼは最近、僕が親しくしている令嬢だ。素直で優しく、魔法の勉強にも熱心で、話していて楽しい。そんなリーゼを、婚約者であり嫉妬深いユリアーナが放っておくわけがない。案の定、僕と話したすぐあとに、ユリアーナはリーゼに接触しようとした。グラスを持っていたから、きっとリーゼにジュースをかけようとしたのだろう。
 ユリアーナの浅はかな計画は失敗に終わり、不運にも彼女はその場で派手に転んだ。リーゼに恥をかかせたかったんだろうが、仕掛けた本人が恥をかく始末。
 ――自業自得だ。
 僕はそう思い、倒れた婚約者には目もくれず、真っ先にリーゼに声をかけた。リーゼに怪我がないことを確認すると、騒ぎを起こしたユリアーナを無意識に睨んでしまった。すると……。
『ふふっ』
 そんな僕を見て、ユリアーナは笑ったのだ。悲しむわけでも、怒るわけでもなく。
『なにがおかしい?』
『いえ。皆様の前で転んでしまったことが恥ずかしくて……笑って誤魔化しただけですわ』
 その時、ユリアーナに違和感を覚えた。どこか、いつもと雰囲気が違うのだ。
 そのままユリアーナはリーゼに優しく話しかけると、みんなの前で見惚れるほど優雅な動きでお辞儀をし、謝罪の言葉を口にした。
 ――謝罪!? あのユリアーナが!?
 目を疑った。耳も疑った。そんな彼女に見惚れてしまった自分のことも疑った。
 そして場面は冒頭に戻る。ユリアーナは僕が止める間もなく、目の前から去って行ったのだ。
 あの時の彼女の笑顔は、一晩寝ても脳裏に焼きついて消えなかった。それどころか、何度も何度も思い出してしまう。