「ユリアーナ様、あちらを見てくださいませ!」
 私を慕ってくれている友人の令嬢が、訝しげに眉をひそめてそう言った。
 言われたほうに視線を向けてみる。そこには、自分の婚約者であるクラウス様が、私ではないべつの令嬢と親しげに話している姿があった。
 今は、私が通っているエルム魔法学園の学期末パーティーの真っ最中である。美しい演奏をバックに美味しい料理に舌鼓を打ちながら、友人たちと一年間の思い出話に花を咲かせていたというのに――。
「……最っ悪」
 私の楽しいという気持ちは、一瞬にして最底辺まで落ちて行った。
「ユリアーナ様が同じ会場にいるというのに、なんて図々しいのかしら! リーゼ嬢ったら」
「絶対にわざとです! 見せつけているのですわ!」
 友人たちは私に味方するように、クラウス様と話している令嬢――リーゼ・オフレの悪口を言い始める。
 リーゼは公爵家のクラウス様、そして伯爵家の私より格下の身分の子爵令嬢だ。見た目も地味で目立たないくせに、成績だけは優秀だ。それを武器にして、あろうことか私の婚約者であるクラウス様に近づくなんて……!
 今までも何度かリーゼに直接注意したことはあるが、逆に私がクラウス様に「そういうのはやめてくれ」と怒られてしまった。クラウス様はお優しい方だから、彼女に話しかけられたら無視できないし、ついつい弱いものを庇ってしまうのだろう。ああ、なんて素敵な方なのかしら……。
 それから私はクラウス様のいないところで、リーゼに個人的にお灸を据えていた。私の婚約者と勝手に仲良くしているのだから、これくらい当然の仕打ちよ。
「ユリアーナ様、いいのですか? このままリーゼ嬢の好きにさせておいて」
「……そうね。いいわけがないわ」
 私はクラウス様がリーゼから離れた隙を狙って、真っ赤なぶどうジュースの入ったグラスを片手にリーゼのもとへ足を進める。
 事故に見せかけて、このジュースであなたの純白のドレスを真っ赤に染めてやるわ……! みっともない姿を晒して、泣きながら会場から出て行きなさい!
 こんなの、私に許可もとらず、クラウス様に色目を使った罰にしては軽すぎるくらいだ。本当だったら即刻退学……国外追放……いや、死刑に値するというのに!
 怒りをふつふつと湧きたてさせながら、カツカツとヒール音を鳴らして、あと数歩でリーゼに辿り着く――その瞬間。
「きゃあっ!」
 おろしたての履きなれていない靴だったせいか、私はその場で足を躓かせてしまったのだ。
すぐにバランスを立て直そうと思ったが追いつかず、私の身体は派手に地面に打ち付けられた。前のめりな体勢で転んだせいか、床に思い切り顔面ダイブする始末だ。
今まで何度も高いヒールを履いてきたのに、なぜこんなことに――。リーゼにジュースをかけようとしたから? それとも、早くリーゼに恥をかかせたいって気持ちが先走りすぎたせい? どちらにしろ、私が大衆の面前で恥をかくなんて!
 恥ずかしくて顔がなかなかあげられず、床とキスしたままの私だったが、急に頭の中で妙な映像が流れ始めた。
 ――あれ。私、この状況をどこかで見たことがある。といっても、展開は違うけれど。だって私の記憶では、ユリアーナはしっかりリーゼにジュースをぶっかけて高笑いしていたもの。
 ……ん? 待って。ユリアーナって私のことよね? それなのにどうして、こんなに他人事みたいな思い出し方をしてしまうの。
「っ!」
 さっきまで聞こえていた周りの喧騒が急に聞こえなくなり、頭が強烈に痛くなる。そして私の脳内に、膨大な記憶が一気に流れ込んできた。これは私の――前世の記憶だ。
 頭の中で流れる映像にいる前世の私は、一日のほとんどをベッドの上で過ごしていた。そんな日々の中で楽しみだったのが、小説を読むこと。ラブファンタジー系のジャンルを好んでよく読んでいた。
特にお気に入りだった作品は、『聖なる恋の魔法にかけられて』。略して『聖(せい)恋(こい)』。魔法学園を舞台にした、身分差のある貴族同士の恋物語だ。けなげなヒロインリーゼと、イケメンヒーローのクラウスに何度も胸キュンさせられたっけ。たまに出てくる悪役令嬢がめちゃくちゃうざかったけど、最後は断罪エンドですっきりしたし。たしか名前はユリアーナ――。
「……私!?」
 思い出したところで現実に意識が戻り、私は大声を出して顔を上げた。手に持っていたジュースはグラスごと床に落ちていて、真っ赤な絨毯をさらに色濃く染めていた。