その日ランチから戻った香魚子は、会社のエレベーターに乗ろうとしていた。ピーコック社は8階建ての自社ビルだ。
エレベーターホールでボーッとしていると、後ろから声をかけられた。
「おつかれ。」
その声に、また心臓が小さく跳ねる。
「お、おつかれさまです!」
「レターセット、残念だったね。」
「え、あ、はい…でも、明石さんの審査用紙でたくさん褒めてくださってたので、嬉しかったのと…ちょっと報われた気がしました。満点ありがとうございました。」
香魚子はにこっと微笑んだ。
「あのプレゼン資料作るの大変だったんじゃない?」
「あ、えーと…あんまり残業するなって言われてるので、資料集めとかは家でもやっちゃって…ちょっと徹夜とかも…」
香魚子は“えへへ…”と答えづらそうに答えた。
「徹夜か。完璧な資料だったもんな。…でもこの会社じゃ…」
明石が何かを言いかけたのと同時にエレベーターが到着したので二人で乗り込んだ。
営業部は4階、デザイン部は6階だ。
「ミルフルールのデザイン、データは無理かもしれないけど、ラフスケッチとかコンセプトのメモは絶対に捨てないで取っておいてよ。」
「え?…はい。…?」
明石がそんなことを言う理由がよくわからないが、従うことにして小さく頷いた。
「じゃあ…」
そう言って明石が右手の小指を差し出したので、香魚子もつられて小指を差し出した。
「約束。」
指切りをし終えたタイミングで4階に到着し、明石は降りていった。
エレベーターに残された香魚子の顔は耳まで真っ赤になり、心臓は今まで経験したことのないリズムを刻んでいた。