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「万里、あのね、お母さん、大好きな万里にお願いがあるの」

 入浴剤のお店の前で、母さんは俺の両手を握って言った。

「何? どうしたの、お母さん」
「今からお店に入って、私が言うものをとってきて欲しいの」

 とってきて? 買ってきてじゃなくて?
 十三歳の俺は、それがどう言う意味かわからないほど、馬鹿じゃなかった。

「母さん、ダメだよ。そんなの、犯罪だよ」
「そんなことないわ。万里の歳なら、まだ犯罪じゃない。前科はつかないから」

 前科って何?
 聞き慣れない言葉を聞いて頭に疑問符が浮かんだけれど、それでも、その言葉がよくない言葉なのは、言われなくてもわかった。

「お願い、万里。私じゃできないの。これは、万里にしかできないことなのよ」
 母さんが涙を流しながら、両肩を掴む。
「俺にしかできないことなの……?」
 首を傾げる。なんで俺にしかできないの?
「ええ、そうよ。万里にしかできないことなの。だからお願い、私の言う通りにして、万里。万里はいい子でしょう。言ってくれたでしょう。お母さんの自慢の子になるって」

 確かに俺は、そう約束した。

 中間テストや期末テストで俺が九十点代をとったり、体力測定でA判定を取ったりするたびに、母さんが『やっぱり凄いわね、私の万里は! 自慢の息子だわ!』って言ってくれて、そのことが嬉しかったから、『俺はお母さんの自慢の子になる!』って約束した。

 でもその約束は、犯罪をするために、万引きをするためにした約束なんかじゃない!!

「約束したけど……」

「したけど何? 万里はお母さんの願いは、なんだって叶えてくれるんじゃないの? 今までずっと、そうだったじゃない!」

 俺は、母親がテストで良い点をとってと言ったら勉強を頑張って良い点をとって。体力測定でA判定を取ってと言われたら、運動を頑張ってA判定を取った。
 中学受験をしてと言ったら、友達と遊ぶのをやめて、受験を頑張って、合格をもぎ取った。でも俺がそうしたのは、ただ母さんの期待に答えたかっただけで。俺は別に、母さんの願いを叶えたいなんて思ってなくて、母さんに好かれる子でいたいって、そう思っていただけだった。

「母さん、俺は……」
「お願い、万里。店員さんにバレたら、私も一緒に謝るから。絶対に、店員さんに『私が万里に万引きを強要しました』って言うから」

 いやそういう問題じゃないよね? 母さんが謝るか謝らないかは問題じゃない。問題は、母親が、実の子供に万引きを強要していることだよね?

「なんで。なんで万引きをしろなんていうの?」

 瞳からぼろぼろと涙が流れてくる。

 俺は何か、悪いことをしてしまったんだろうか。実の母親に万引きを強要されてもおかしくないような、悪いことを。そんな心当たりは、全然なかった。

 瞳から出た涙が凍った。それはまるで、雪のように。
 空を見上げると雪が降っていた。