ティアは湖の奥底に沈んでいった。
 今までの十二回は、温かく幸せだった神への道。今回は、大司教の暗示魔法がかかったキュケオンを飲んでいなかったため、息が苦しい。

 早くドロメナ神に会わなくちゃ! 生贄にはならないって伝えなくちゃ!! 
 しかし、長いドレスが纏(まと)わりついて自由に泳ぐこともできない。

 もう駄目……。今回は本当に死ぬのかしら……。

 神の花嫁になりたいと思っていたときは受け入れられずループし、なりたくないと思った今回は死んでしまうのか。

 絶望でゴボリと息を吐く。いっそうに苦しくなる。

 ああ、もう駄目……。
 
(何度言えばわかるのじゃ!! 湖に生ゴミを捨てるでないわ!!)

 突如、怒り狂う黒髪の男がティアを乱暴に掴んだ。

(生ゴミですって!?)

 ティアは反論しようとすると、ゴボゴボと口から空気が抜け、言葉にならない。

(おや? 今回は正気のままか)

 男は、宇宙のように真っ黒な瞳で、値踏みするようにティアを見た。
 腰まで伸びた長い黒髪が流れるように揺れている。
 脇には金髪の少女を抱えている。

(は、紅蓮の希望を飲んだのか、よいよい。そういう面白いヤツはよいな)

 苦しそうなティアを見て、ああそうか、と呟き泡を弾く。
 するとその泡が広がって、ティアと女を包みこんだ。

 水がなくなり息ができる。ティアはホッとした。そしてキッと男を睨む。

「生ゴミとは失礼ね!」
「ああ、すまぬ。まさか聞こえるとは思わなくてな。このところ人間どもが我の住(す)み処(か)に人を落とすものでな。迷惑してるのだ。お主も十二回も落とされるな。アホなのか」
「……もしかして、ドロメナ神?」
「もしかしなくてもそうじゃ。アホの子よ。様をつけよ、様を」

 ティアはムッとする。

「私はティアです。ドロメナ様」
「ああ、そうか。ティア。それでお主はなんでこうも湖に落ちてくる。毎回返品してるではないか!」
「ドロメナ様の花嫁です! 神の花嫁を捧げれば、敵国エリシオンから国を救ってくださるとのことですが、私は花嫁になる気はありませんので、さっさと返品してください!」

 ティアが一気にまくし立てると、ドロメナは不愉快そうに怒った。

「なんだそれは。我は生贄など求めぬ! たしかに三百年前『聖女を嫁に欲しい』と言った。それはこの娘を愛していたからじゃ! 嫁はもういる! この嫁以上の嫁はいない!!」

 ドロメナの脇に寄り添っていた金髪の少女はコクコクと頷いた。

「いえ……嫁は方便で、生贄だそうです……」

 ティアは勢いに押され、オズオズと答える。

「生贄だと!? 人の命をなんだと思っているのだ! ドロメナの教義の第一は、命を大事にすることであろうが!!」

 ティアはポカーンである。

「は? だって、大司教様がそうおっしゃって……」
「お主はそれをバカみたいに信じて十二回も落ちたのか。やはりアホの子じゃな」

 ティアはショックでズーンとなる。半泣きで反論もできない。
 なんの疑いもなく十一回は自ら進んで神の花嫁になったのだ。十二回目の今回は信じていたわけではないが、ほかの選択肢がなかった。

「……」

 言葉もないティアを見てドロメナは不憫に思った。

「……まぁ、騙されていたならしかたがない。最後にもう一度だけチャンスをやろう。つぎこそはここへ来るなよ」
「ありがとうございます!!」
「しかし、我は怒っておる!! 我を都合よく使うとは、ルタロス王国には痛い目を見せてやらねば!!」

 ドロメナはグイとティアを抱き上げた。
 いわゆるお姫様抱っこである。

「うひゃぁ!」
「もっと可愛らしい声はでんのか」

 ドロメナは笑った。
 
「でません!! 男性にこんなふうにされたことないんですから!!」

 羞恥で顔を真っ赤にするティアをドロメナは面白そうに覗きこんだ。
 長い黒髪がティアの頬に触れる。
 ティアはドキドキとして目を瞑って息を止め必死に顔を逸らす。

 ドロメナはプッと吹きだした。

「さすが聖女だ。まさかこんなに乳臭いとはな」

 ドロメナはそう言って笑うと、ティアを抱えたまま浮き上がっていく。金髪の少女はドロメナの腰にぶら下がったままだ。
 湖面を突き抜け、空に昇る。

「大聖女様だ!! あれはドロメナ神!?」
「大聖女様! 神の花嫁!!」

 口々に民衆が声を上げる。
 大司教は尻餅をついた。
 クレスは花輪を持って眩しそうに空を見上げた。

 ≪我は生贄を望まぬ!! 我の嫁はただひとり!!≫

 空が割れるかのような声が響き渡った。ドロメナの声である。
 人々は地に伏した。

 ≪愚か者には神からの鉄槌を!!≫

 ドロメナはそう言うと、大司教の佇む桟橋に向かって手を振り下ろした。
 空気が裂け、桟橋が落ちる。
 大司教は桟橋から転げ落ち、湖の上でもがいている。
 
「ちょ、ちょっと、ドロメナ様、やり過ぎじゃ……」

 ティアが顔を青ざめさせて言うと、ドロメナは鼻を鳴らす。
 そしておもむろにティアの鎖骨のあいだを指差し、魔法陣を宙に描き、指先で弾いた。
 ティアの胸元に魔法陣がぶつかり、呑み込んだ紅蓮の希望と共鳴して光る。

「これで、お主と紅蓮の希望が同化した。お主の神聖力は紅蓮の希望の力を持つ」

 ドロメナの両手からティアは浮き上がり、更に天に向かって昇ってゆく。

再生(アナゲンネシス)

 ドロメナ神が唱えると、ティアの体から桃色の光がほとばしった。
 
「今度こそ幸せにおなり。優しすぎる大聖女、ティア」

 ドロメナはそう言ってティアを見送った。金髪の少女はティアに向かって手を振っている。
 ティアが見えなくなってから、地上へと振り返る。

 湖の上で無様に手を伸ばし、助けを求める大司教を見て、ドロメナ神はニヤリと笑った。
 そして、追い打ちとでも言うように、湖面に雷を落とす。
 電気が水面を渡り、大司教はビリビリと痙攣した。