「そなたの記憶違いと言うことはないか? 少なくとも前ポイニクス伯爵は、内密に捜索していたと記録が残っている。やっと、そなたの母を見つけ、受け入れる準備をしているあいだに、そなたの両親は殺され、そなたは行方知れずとなった」
「そんな……」
「乳母まで雇い入れたところだったと記録に残っている。しかし、そなたの母は駆け落ちだったからな。令嬢の名誉も考えられたのだろう。一連の事件は公にはされなかったようだ」

 ティアは俯き黙り込む。
 なにをどう考えて良いのかすらわからなかったのだ。

「前ポイニクス伯爵は亡くなり、今は遠縁の者が伯爵家を継いでいるが、お主が見つかったとなれば喜んで受け入れてくれるだろう」

 国王に言われ、ティアは気落ちした。

「ポイニクス伯爵家へ行かなければなりませんか……?」

 恐る恐る聞いてみる。

「伯爵家に入るのがいやなのか?」
「……ご迷惑になると思うんです。私は、令嬢教育を受けていない孤児でした。その上、ドロメナ教に除籍された悪女です。それに知らない人の家に行くのは心細く感じます」
「悪女か……。聖遺物の持ち主だ。問題なかろう? 見るに令嬢教育が必要とは思えない立ち振る舞いができている。心配することはない」
 
 国王はティアの杞憂を笑い、この話は終わりだと言わんばかりに打ち切った。

「さて、ティアよ。我が息子の呪いを解いてくれた礼に褒美を取らす。なにが良い? 言うてみよ」

 国王の言葉にティアは萎縮した。
 特に欲しいものはなかった。
 ティアの望みはただひとつだったからだ。

「あの……」
「なんだ?」
「やはり、私のような者は……イディオス殿下のおそばにいてはいけないのでしょうか……」

 シュンとするティアを見て、国王はウッと呻く。
 隣に座る王妃もキュンと鳴る胸を押えた。

 イディオスはティアを抱きしめた。望みを聞かれて、どんな金銀財宝よりも自分といっしょに居ることを望んでくれたことに感動したのだ。

「そんなことはない! 俺のそばにいてくれ!」
「殿下! 御前です!」

 ティアは慌てる。

「誰が駄目だと言っても連れていく。俺がそばにいたいのだから」

 イディオスはそう言って、国王を睨んだ。
 国王夫妻は顔を見合わせため息を吐く。
 ティアは恥ずかしくてもだえ死にそうだ。

「ティア嬢、イディオスのそばにいたいというのであれば、辺境のドラコーンに住むことになる。伯爵家に戻るよりそちらが良いというのか? 不便だろう?」
「どんなに不便でもイディオス殿下のおそばにいたくぞんじます。それに、不便は変えていけば良いだけですから」

 国王の問いに、ティアは顔を真っ赤にしながら、それでも真摯に答えた。
 ティアの言葉に胸を打たれ、国王は大きく頷いた。

「そうか、そなたならドラコーンをも変えられるかもしれないな。では、イディオスのそばにいるががよい。そして、望みのままに生きよ。ただし、イディオスが手に負えないようであれば必ず私に言うのだぞ?」

 国王はそう笑い、イディオスはそんな父を睨みつけた。
 キュアノスもキュキュキュと笑い、王妃は微笑む。

「しかし、それでは礼にもならぬな……。ではこうしよう。キュアノスを王宮直通の通信獣として認める。また、ティア嬢には王宮の出入りを認める通行証を与えよう」

 そう言うと控えの者がキュアノスに粘土版を差し出した。キュアノスがそこに足形をつけると、王宮直通の通信獣として登録された。
 また、ティアには通行証が与えられ、サインを促される。通行証にサインをすると、文字がピンクに浮き上がった。こうしてティアの魔力を登録し、本人でなければ使えないようになっている。

「ありがとうございます」

 ティアはホッとして深々と頭を下げた。
 イディオスも深々と礼をする。

「ありがとうございます」

 顔を上げたイディオスは満面の笑みだった。
 呪いを受けてから、無表情で生きてきた息子が久々に見せた笑顔だった。
 国王夫妻は感動して涙ぐむ。

「……良かったですね」

 王妃が目元を押えた。

「ああ、良かった。感謝してもしきれないな」

 イディオスはおもむろにティアを抱き上げた。

「もう良いですか、陛下」
「ちょっと、殿下!」

 イディオスがぶしつけに尋ね、ティアは慌てた。
 国王は大きな声で笑い、ティアにヒラヒラと手を振った。

「よいよい、もう好きにせよ」

 国王には恋人たちの邪魔する気力がなくなってしまった。

 イディオスはティアを抱き上げたまま、国王の前を辞した。


 そのままイディオスはティアを王宮の塔の先端へ連れていく。

「わぁ! すごい!」

 降ろされたティアは塔のアーチに駆け寄った。

 眼下にはメソンの町が広がっている。青い空には白い海鳥が舞い、賑やかに歌を歌っている。
 潮風が頬を撫でる。眩しく光る太陽が、ティアの髪に天使の輪を輝かせた。

「……ティア」

 イディオスが呼びかける。
 ティアが振り向くと手を差し出された。
 その手を取ると当たり前のように、指と指のあいだに指を差し込まれる。

 ティアはドキリとして戸惑った。

「もう片方も……」

 イディオスに促され、オズオズと手を出すと同じように結ばれる。

 熱く力強い手のひらから、イディオスの思いが伝わってくる。
 恥ずかしくて嬉しくて、思わず顔をそらせば、イディオスがシュンとしたのが伝わった。

 ティアは慌ててイディオスを見る。
 ヒヤシンスのような青い瞳には、ティアの紅色が映り込んでいる。
 ほんのりと色づいた目尻が潤んでいて、胸がキュウと苦しくなる。

 イディオスがティアの額に額を合わせた。
 そして、鼻と鼻を合わせる。するとそこにキュアノスも鼻を押し込んできた。

「くすぐったい」

 ティアが笑うと、キュアノスが笑う。
 イディオスは不満げにキュアノスを睨む。

 そして、笑った。

「さぁ、帰ろう」

 イディオスは言うと、ホワイトドラゴンの角笛を吹いた。

 見る見る間にホワイトドラゴンが塔までやってきて、アーチに横付けした。背には荷物を積んでいる。変える準備は万端のようだ。

 イディオスはホワイトドラゴンに乗り込むと、ティアに手を差し伸べる。
 ティアはその手を取る。
 その手首には『群青の光明』が光っていた。

「俺たちの家に」

 イディオスに言われて、ティアは大きく頷いた。

「うん! 帰ろう!」

 小さくて温かい私たちの家に。