翌日。
 メソン島のドロメナ教会にティアは来ていた。赤いワンピース姿である。イディオスから貰った白いブーゲンビリアをポニーテールに挿してきた。勇気を貰うためだ。

 エリシオンのドロメナ教会は、ルタロスとは比べられないほど小さく質素だ。
 しかし、昔の教会のあり方を示しているようで、ティアには好ましかった。
 中ではクレスが待っていた。
 先日とは違い、身なりも綺麗に整えられ、落ち着いた司教姿だった。

 やっぱり昨日は旅の疲れで興奮してたんだわ。

 いつもと同じクレスの姿にティアはホッとする。

「いらっしゃい、ティア。まずは礼拝堂へ挨拶へ行きましょう? ドラゴンは待機室へおいていきなさい」

 クレスに言われ、ティアは悪女のように微笑んだ。
 クレスにティアが悪女として除籍されたことを納得してもらわなければならないのだ。

「いいえ。クレス様。私は礼拝いたしませんし、キュアノスとも離れません」

 キッパリと優雅に答えるティアの姿に、クレスは眩しく思う。
 ここには愛されたいと願い、いつでも人の顔をうかがっていた小さな孤児はいなかった。
 しかし、その力を与えたのがあの竜騎士かと思うと忌々しい。

「なんてことを……ティア。そんなことでは、悪女になってしまいますよ。ああ、男を惑わすような赤いワンピースは着替えなさい。髪を結い上げ、誘うなんて、いやらしい。神から見放されます」

 クレスはそう言うと、おもむろに髪のリボンを引っ張った。
 ポニーテールが崩れ、サファイアピンクの髪がバサリと広がる。イディオスからもらった、白いブーゲンビリアが床に落ちた。

「ギュギュ!!」

 抗議するキュアノスをティアは宥めた。

 そしてティアは思い出す。

 そうだった。教会はいつもそうだった。こうやってやりたいことを否定して、教会の理想を押しつけた。神の愛を脅しに使い、自分の望みを恥ずかしいものだと思わせた。
 しかし、ティアは教会が神の名を都合よく使っているだけだと知ってしまった。

「クレス様、私はもう悪女なんです。今さら戻ってこいと言われても無理です」

 ティアはこともなげに笑った。
 クレスはクラリと目眩を感じる。
 自立した目のティアは、本当に美しかったからだ。
 だからこそ、手放したくないと思う。手に入れたいと渇望する。

 クレスはニッコリと笑った。彼は幼いころからティアを知っている。だからこそ、ティアの弱点もよく心得ていた。

「そうですか……残念です。でも、ここまで探しにきたのです。お話くらいできませんか?」

 クレスに優しく頼まれては、ティアは抗うことができない。
 巡礼姿がボロボロになるまで探しにきてくれのだ。そんなクレスのことを突き放すことはできなかった。

 ひかれた椅子に素直に座る。
 用意されたお茶は、エリシオンでは珍しいメコノプのお茶だった。
 漂う薫りが乙女の楽園を思い出される。
 
 酷い最後で飛び出しては来たが、乙女の楽園自体を嫌っているわけではない。孤児だったティアを救ってくれた恩もある。小さな子供たちと送った楽しかった日々は、忘れがたいものだった。
 そして、その中心にはいつだってクレスがいた。

 コクリと一口飲む。
 懐かしい味だった。かぐわしい香りとともに、懐かしい思い出が鼻孔を抜けていく。なぜだか目に染みた。

「ティアが去ってからすぐに、楽園に向かったのですが……。間に合わなくてすみませんでした。私がもっときちんとしていたら、あなたをこんな目に遭わせなかった……」

 悲痛な面持ちでクレスは頭を下げた。

「いえ、クレス様はなにも悪くありません」
「すぐに楽園の子供たちに聞き取りをして、司祭は教会に送りました。みんな、あなたは悪くないと言っていました。私ももちろんあなたを信じていました。司祭は幽閉されています」
「……みんなが私を庇ってくれたんですか?」
「ええ、みんなあなたが大好きでしたから。もちろん、私も」

 クレスに微笑まれ、ティアは心が打たれた。
 自分が乙女の楽園にために働いてきたことは無駄ではなかったのだ。報われたような気がした。

「しかし、あれから、乙女の楽園は運営が難しくなってしまいました。あなたが去ってから、メコノプが上手く育たなくなってしまったのです。ティア、あなたを失ってから、私たちはあなたの存在の大切さに気がついたのです」

 切々と訴えるクレスだが、ティアは思わず咽せた。

「っ! それは、私のせいではなく、エルロ様のせいでは?」
「エルロ様とは?」
「土の精霊、エルロ・オフサルモス・カラジアス様です」
「そんな、伝説のような話を……」

 クレスが小さく笑ったとき、教会の床からムクムクと幼女が現れた。
 土の精霊、エルロ・オフサルモス・カラジアスだ。

「妾の名を呼んだな。ティア」

 尖った耳、小麦色お肌、サラサラと光るおかっぱ髪は伝説そのものの姿だ。そして威厳あるものいいと、唐突な現れ方で人ならざるものだということがわかる。

 ティアははにかんでクレスにエルロを紹介した。

「クレス様、この方は土の精霊、エルロ・オフサルモス・カラジアス様です」

 クレスは深々と頭を下げた。

「妾がどうしたのだ」

 エルロはクレスを無視して、ティアに話しかける。

「いえ、ルタロスでメコノプの育ちが悪くなったと聞いたのです。それってエルロ様が引っ越しされたせいじゃないですか?」
「? そうだが?」

 エルロは当然のように答えた。
 ティアは深くため息をつく。

「エルロ様、そんな重大なこと! 早くもといた場所に帰ってください。もといた場所の人が困るでしょう?」
「いやだ。それに、妾がいないから土地が悪くなるわけではない。妾がいる場所が豊かになるだけだ。もとの土地に戻っただけだ」

 エルロはドヤ顔で胸を反らす。

「妾はすごいのだ。感謝せよ、ティア。あがめ奉れ、ティア」
「すごいことは知っています。感謝もしています。でも、乙女の楽園が困るのは困ります」
「あいつらは結界を張り、土地の力を独占し、土を敬わない。自業自得だ。だから妾はティアについてきたのだ」
「でも!」
「なんだ、妾に説教か! ならば去る!!」

 エルロはそう言って床に消えた。

「エルロ様!」

 ティアはエルロが消えた床に思わず膝をついた。
 あああ、と頭を抱える。

 なんてこと! まさか、そんなことになっているなんて。

 ティアは半泣きになる。乙女の楽園から逃げ出したいとは思っていたが、楽園の子供たちが苦労するのは望んでいない。

「ティア……」

 クレスはティアの前に跪く。クロッカスのような紫の瞳が怪しい熱を帯びていた。
 
「やはり、特別な人。お願いです。戻ってきてください。あなたが戻ればエルロ様も戻ってくださるでしょう」
「でも……無理です……」

 ティアの心は罪悪感で揺れている。声も小さくなる。

「楽園の子供たちもあなたを待っていますよ。みんなで幸せになりましょう?」
「でも、私は」
「あなたが戻れば、子供たちも喜びます。楽園も元通りです」
「戻らなければ楽園はどうなるんです?」
「きっと近々閉鎖され、子供たちは違う家に引き取られるでしょう。そうしたらもう、聖女にはなれません」

 クレスの言葉を聞き、ティアはホッとした。子供たちが路頭に迷うわけではないのだ。そして、使い捨てできる聖女を育成する場がなくなるのなら、そちらの方が良いと思った。

「そちらのほうが良いのでは? 乙女の楽園の聖女たちは捨て駒なのでしょう?」

 ティアの問いに、クレスは息を呑んだ。

「司祭が言ったのですか?」
「危険なところに送られるのはいつも私たちの先輩でした。能力が高く選ばれたのだと誇らしくおっしゃっていましたが、本当は違いますよね」

 ティアは尋ねる。

「……やはり、あなたはとても賢い」

 クレスの言葉にティアは失望した。本当は否定して欲しかった。