ところかわって、エリシオン王国の上空である。エリシオンは小さな島々が集まってできた国だ。
 栄えている島はごく一部で、多くの島は素朴な田舎だ。各島には魔獣が住み、それらを使役することに長けていた。

 真っ青な海に、転々と連なる島々。
 白い壁に青い屋根が特徴的だ。まるでイディオスのように美しいとティアは思う。

 向かったのは、イディオスが住むドラコーン島である。
 ドラコーン島はエリシオンの中でも最北端に位置し、寂れた島だった。
 島の上空を旋回し、竜の谷を眺める。
 岸壁には横穴が掘られ、そこには一本のツノが生えたドラゴンたちが眠っている。竜の谷はドラゴンの巣だった。
 小さなドラゴンも、傷つき年老いたドラゴンもいた。

「わぁぁ! すごい!」

 ティアはキラキラとした瞳で竜の谷を見おろした。
 限られた世界で生きてきた彼女にとっては、なにもかもが目新しかった。

 竜騎士たちがドラゴンに跨がり訓練をしている。

「あれ? みんなツノがあるの?」

 ティアは思わずキュアノスに尋ねる。キュアノスはティアと主従契約を結んだせいでツノがない。しかし、竜騎士たちが乗るドラゴンにはツノが生えていた。

「竜騎士になったからと言って、ドラゴンと主従関係になれるわけではないからな。主従関係を結べるのは特別な人間だけだ」

 イディオスが答えた。

「きゅう!」

 キュアノスがティアに頬ずりをする

 竜の谷は岩がむき出しとなった荒涼とした土地である。
 谷の入り口付近には、寂れた集落があった。畑は少なく、あっても作物は弱々しい。ドラゴンの毒のせいで、土地が荒れているのだ。 
 ここは竜使いたちが暮らす辺境の地だった。

 イディオスはエリシオンの王子でありながら、その美貌と魔女の呪いのせいで王宮からは距離を置いていた。ドラコーン島を統べる辺境伯のもとで、竜騎士として暮らしている。

 イディオスがティアを抱え、竜の谷の上空に現れたとき、人々はザワついた。
 なにしろ、イディオスは人に興味がないのだ。
 仲間の竜騎士が怪我をしたところで、振り返ることすらない。
 しかも、女に対しては毛嫌いをしている節もある。そんな男がびしょ濡れの少女を抱きかかえてきたのだ。

 イディオスが城の中庭に降り立つと、竜騎士たちが駆け寄ってきた。

「ヒュウ! 突然慌てて出ていったと思ったら! やるじゃねーか、王子さま!」

 冷やかすような口笛を吹いたのは、竜の谷を統べる辺境伯ラドンである。竜騎士団の団長であり、イディオスの後見人でもあった。
 筋骨隆々とした日に焼けた体に、短髪のごま塩頭。ヒゲを蓄えた顔に、歴戦の跡が残る。左目は傷で開かなくなっていた。

「なんだ? 本物のイディオス殿下か? 女を攫ってくるなんて!」
「イディオス殿下って面食いだったんすねー」

 竜騎士たちは興味津々でティアを見る。

 男慣れしてないティアは、ぶしつけな男たちに怯え、イディオスの背にサッと隠れた。
 男と言うだけでも怖いのに、生前にはこの竜騎士たちに取り囲まれ弓を向けられたのだ。
 小動物の子供のような姿に、ワッと竜騎士たちが興奮する。

「うわ! かわいい! なんだ、あれ!」
「ちょ、女の子って、あんなだったっけ? うちのねーちゃんとはぜんぜん違う」

 ティアは恐怖でイディオスの背をキュッと掴んだ。指先がフルフルと震えている。
 その様子に、イディオスの胸がキュンと高鳴る。

 なんだ……この、可愛い生き物は……。まるで生まれたてのドラゴンみたいだ。

 ドラゴンに例えるのは、イディオスにとって最大の賛辞だ。
 人を愛せぬイディオスだが、ドラゴンは愛すことができるからだ。

「こわくないよ、おいで、おいで。そっちの男は危ないでちゅよ? ほら、お菓子をあげよう、お嬢ちゃん」

 ラドンがふざけて、ティアを餌付けしようとする。
 ティアは恐る恐るイディオスの背から顔を覗かせた。
 イディオスはそれを見て、焦る。ティアを取られるのは嫌だと思ったのだ。

「ふざけるな。凍らせるぞ」

 イディオスが冷たく言い放つ。青い瞳が剣呑(けんのん)に輝いた。
 ホワイトドラゴンが大きく口を開く。キュアノスもそろって大きく口を開けた。
 
 ラドンは笑って両手を挙げた。

「悪い悪い。そう怒るな」
「彼女は先日話した女神だ。キュアノスの相棒、ティア」

 イディオスはつっけんどんに説明した。

「女神ではないです。ドロメナ教から除籍された悪女です……」

 イディオスの背中越しからオズオズと訂正するティアに、ラドンは微笑んだ。

「ティア殿、ようこそ竜の谷へ。ここでは女神も悪女も大歓迎だ!」

 ティアはぎこちなく微笑み返す。
 ラドンは豪快に笑う。

「ティア殿を丁重にもてなしてくれ。まずは着替えを」

 ラドンの命に、城の者たちが慌てて動き出した。

「風呂には入れるか」

 イディオスが問えば、執事が頷く。
 イディオスはティアを抱きかかえたまま浴場へ向かった。

「あの! 歩けます! おろしてください!」
「ここは荒くれ者が多いから危険だ」

 イディオスがすまして答えると、周囲の竜騎士たちは「殿下が一番怖いのに」と肩をすくめる。

 ティアがイディオスの腕の中で、ジタバタしているうちに浴場に着く。
 キュアノスはパタパタと飛びながらついていく。

「この城には女がいないから不便をかけると思うが、とりあえず寛いでください。湯は温泉だ」

 イディオスはそう言うと、ティアを降ろした。

「ありがとうございます……」

 急な展開に呆気にとられていたティアはオズオズと礼を言った。
 イディオスは少しはにかんでティアに背を向け、出ていった。

 ティアは広々とした浴場に目を見張った。機能的で無骨な浴場だ。竜騎士たちが使っているのだろう。余計な装飾はない。
 そして、お湯は熱くてヒリヒリとする。

「お水もドラゴンの毒で少し汚染されてるのね」

 ティアはお湯を浄化する。温泉の優良成分だけ残り、まったりとした柔らかく良い湯になった。プツプツと気泡が体に張り付つく炭酸温泉である。
 体を洗って、キュアノスと一緒に湯に浸かる。雨で冷えたからだが温まってくる。
 すると、凍えていた胸の氷が溶け出して、せり上がってきた。

 石を投げられた額が、今になって熱く疼く。追い出されたいとは思っていたが、それにしてもあまりにもひどい仕打ちが悲しかった。

 化け物なんて言わなくても良いじゃない……。

 零れそうな涙を隠すように、乱暴に顔を洗う。

「キュウ?」

 キュアノスが慰めるようにティアを舐めた。

「慰めてくれるの?」
「キュア」
「そうよね。落ち込んでもしかたがないわ。せっかく自由になれたんだもの! キュアノスと一緒に幸せになるの!」
 
 ティアはキュアノスをギュッと抱きしめた。