「くそっ!ほどけよ。縄をほどけっ」

 地下室の扉近くの床上で転がっている、クソまみれの王太子が叫びはじめた。

「おっと、忘れていた」

 レイは王太子に近づくと、縄の端をひっぱり引き摺ってきた。

「エリカ。クソまみれのこの男、きみの仕業かい?」

 レイは、二本の指で鼻をつまんだ。

 そのコミカルな動作に笑ってしまいそうになった。だけど、実際は眉間に皺を寄せつつレイを睨みつけていた。

「クソまみれにしたのがわたしですって?わたしだったら、クソまみれにするんじゃなくってクソの海に沈めるところよ」
「そうだよな。きみならそうするはずだ」

 冗談を言ったつもりなのに、彼は生真面目に一つうなずいて肯定した。

 なんなのよ、もうっ!微妙すぎるわ。

「そこは肯定しなくってもいいわよ、まったく。わたしじゃなくって、エドという庭師よ。レイ、あなたの知り合いでしょう?すくなくとも、エドはあなたのことを知っているみたいだから」

 エドの温和な顔を思い浮かべつつ説明をしながら、彼に感じた違和感を思い出した。

 そういえば、そのおなじ類の違和感をレイや王太子にも感じた気がする。

「わたしのことを呼んだか?」

 そのとき、地下室にだれかがヌッと入って来たので飛び上がりそうなほど驚いてしまった。

 麦わら帽子はかぶっていないけれど、つなぎのズボンとよく焼けた顔や腕は間違いなくエドである。

「エドッ!」

 思わず呼んでいた。

 彼は、床上に転がっている王太子に一瞥くれてからわたしに笑いかけてきた。

 その笑顔がキュートすぎる。

「エリ、いや、エリカ。すまなかった。きみを危険にさらしてしまったのは、わたしのせいだ。心から謝罪させてほしい」

 彼は、わたしの前に立つと頭を下げた。

「まさか、侍女長が「下女のエリ」を捜しはじめるとは思ってもみなかったんだ」
「ええ?」

 どういうこと?

「あー、父上。まだ彼女に説明していないのです。おれは彼女に不審者扱いされているだけでなく、めちゃくちゃ嫌われています。ですので、一から説明が必要かと思いまして」
「なんだと?おまえはまだ彼女を攻略しておらぬのか?おまえの腹心の部下たちは、とっくの昔に宰相とその一派を捕えたというのに?」
「兄上は捕えましたよ。ですが、エリカは彼以上に手ごわいですからね」
「ああ、なるほど」

 レイとエドが同時にわたしを見た。

 ちょちょちょっ……。

 いったいぜんたい、どういうことなの?

 男性二人に見つめられ、これまで以上に混乱してしまっている。

 レイ、それからエド。そして、床上に転がっている王太子。順番に視線を向けて、やっと抱いている違和感に気がついた。

 似ている。

 外見はなんとなくだけど、醸し出す雰囲気がそっくりである。

「レイ、何度も尋ねさせないで」

 混乱しすぎている。わたしのガマンの限界はとっくの昔に越えてしまっている。いまにも爆発してしまいそうだわ。

 そう尋ねた声は、恫喝めいていたのが自分でもわかった。

「わかっているよ。ちゃんと話をするから。おれの正体は、最初に言ったよ。覚えているかい?」
「ええ、覚えているわ。『おれは王太子だ。命を狙われていて、ここで隠れている。っていうのはどうだい?』って言ったわよね?って、まさか……」

 てっきり嘘だと思った。幼稚なごまかしだと。大きくでたわねって笑ってしまった。

「ほんとうのことを言ったのさ。おれが本物の王太子だ。こっち、って兄だけど、こっちは偽者なんだ」
「嘘でしょう?」
「ハハハッ!彼女は、おまえより偽者の方がよほど王太子らしいと思っているぞ」
「父上、笑いごとではありません」

 レイは、不貞腐れている。

 このベシエール王国の王太子は、戦争の達人と名高い将軍で「氷竜の貴公子」と異名を持つ剣士であるということを思い出した。

 あのバラ園の小屋での彼の剣の構えや腕前は……。

 ということは、嘘ではなく本物?さらには、本物の王太子が父上と呼ぶエドは国王ということ?

「恐れ入ったわ」

 つぶやいてしまった。

 それ以外のこと言える?