「すまない」

 やっと口を開いたと思ったら謝ってきた。

 それっていったい、何に対する謝罪だったの?

「ただ会いたくなった」

 ちょっと、あまりにも短文だわ。もっとこう、舌をまわして唇を開けることは出来ないわけ?

 一語か二語って、喋りはじめた幼児じゃないでしょう?

「それだけだ」

 彼は、唐突に背を向けた。

 その瞬間、彼の視線が下方に向いた気がした。正確には、わたしの顔ではなく足元に視線を走らせたような気がした。

 夫であるはずの王太子の行動は、すべてが謎すぎる。

「じゃあ」

 彼はつぶやき、さっさと部屋を出て行ってしまった。

 いったいなんなのよ、もうっ!

 レイは存在そのものが謎すぎるけど、王太子は行動が謎すぎる。

 王太子が出て行って完全に気配がなくなった途端、緊張から解き放たれた。

 背中から思いっきり寝台にダイブした。


 結局、王太子に探りを入れることは出来なかった。

 バスケットを寝台と大理石の間から取り出し、また寝台の上に置いた。

 その中から手紙を取り出し、もう何十度目か読み返してみた。

 まるで毎回文字がかわるかのように、読むたびに何かを感じる。その感じる内容は、毎回違う。

 彼に会いたい。

 これもまた、もう何十度目かに湧き上がってくる想いである。

 会ってお礼を言わなくっちゃ。

 彼のお蔭で、とりあえずは餓死しなくてすんだんだし。

 トマトもパンもリンゴも炭酸水も美味しかった。
 量は……。たぶん、二食分くらいはあったのかもしれない。
 
 これまでの経験上、食物があるときにはある分だけ食べてしまう。

 よく食べだめと寝だめは出来ないというけれど、わたしの場合はそういうつもりじゃない。

 その食物を食べておかないと、次にいつ食べられるかわからないから。

 もちろん、量がそこそこあれば何食かに分けることも出来る。だけど、たいてい一食分あるかないかの量だから、分けることも出来ない。

 っていう言い訳はしないでおきましょう。

 つまり、食べはじめると止まらないわけ。

 どの国や場所でも、王侯貴族のご令嬢たちは痩せたいとか、体型を維持する為に食事制限をしたりしている。彼女たちは、たいてい食事を抜く。三食を一食にしたり、何日間かお水だけですごしたり。

 そんなことをすれば、また食べはじめるとたいてい大食いしてしまうのに。あるいは、体に不調をきたしてしまうのに。

 そして結局、食事制限をする前より食べすぎて太ってしまうのよね。

 わたしのはそういう意味じゃない。

 体重を落とす以前に、命にかかわることである。

 一応、王宮や皇宮や城や屋敷ですごしている。そんなところで餓死なんてしようものなら、死んだ後でもそこの人たちに蔑まされてしまう。

 そこの人たちは、自分たちは「戦利品」であるわたしを十分もてなしていると勘違いしている。真摯で心のこもったおもてなしをし、親身に接していると脳内で置き換えている。

 ほんとうにそんな待遇をしてくれているのなら、どれだけ生きやすいか。どれだけ平穏にすごせるか。

 思えば、わたしの人生のほとんどが生きるか死ぬかというレベルである。

 ダメダメ。わたしってば、何をナーバスになっているの?

 過去は過去。いまはいま。そして、これからのことに目を向けなきゃ。

 手紙から顔を上げ、ガラス扉の向こうにひろがる夜の闇を見つめた。