ちょっとしたアクシデントはあったけれど、あてがわれている部屋へ無事に戻ることが出来た。

 それ以降、可能なかぎり聞き耳を立ててみたけど、バラ園で人が死んだとかケガ人が出たという話は聞こえてこなかった。

 あの黒づくめの襲撃者たちは、いったい何者なんだろう。どうなったのかしら?

 それよりも、自称王太子のレイってほんとうは何者なんだろう。

 なぜか、彼のことが気になって仕方がない。 


 ここに移ってきてから、いったい何日経過したかしら。

 夫なる人とは、最初の日の夜に会って以来一度も顔を会わせていない。

 一応、豪華な一人部屋にいさせてもらっている。彼の部屋がどこにあるのかもよくわからない。いずれにせよ、彼が自分の寝室や執務室にいるのかもわからない。そもそも、王宮にいるのかいないのかすらわからない状態である。

 だれかに尋ねようにも、専属の侍女をはじめ執事や侍女長など教えてくれる雰囲気じゃない。だから、尋ねる気にもならない。

 もっとも、今回は悪女を気取っている。向こうもわたしの態度に腹を据えかねているに違いない。

 ありがたいことに、ここではある程度の自由はきく。なにより、食べ物がある。厨房に行って、そこにある食材を好き勝手に使って作ることが出来る。洗濯だって掃除だって、勝手に用具を使って出来る。

 衣食住は、これまでとは比べものにならないくらいよくなっている。

さらに幸運なのは、宮殿内に図書室があることね。そこには、何万冊もの本が並んでいる。レアな資料や料理本、小説なんかもある。好きなときに行っては、何十冊と持ち出す。自室で、あるいはテラスや庭園や森で、いろんなところで好きなだけ読むことが出来る。

 最高だわ。
 その点では、ここにきてよかったと思わせてくれる。

 三冊の本を胸元に抱え、今日は森で読もうかと大廊下を歩いていた。

 いまだ名前を覚えていない専属の侍女が、他の侍女と廊下の隅で立ち話をしているのに出くわした。

「エリ?さあ、きいたことないわよね」

 わたし専属の侍女でない方がそう言ったのが、耳に入ってきた。

 一瞬、わたしのことかと思った。

「でしょう?エリなんて人、ここにはいないわよね」
「でも、レリア。下女って?厨房とかで雑用をしている人のことかしらね?」

 なるほど。わたし専属の侍女の名は、レリアっていうのね。
 やっと彼女の名がわかった。

 っていうか、やはりわたしのことじゃない。

 そうとはわからないよう、歩く速度を緩めた。

 レリアともう一人は、一瞬だけ視線をこちらへ向けた。

 が、わたしと認めた瞬間、またお喋りをはじめた。

 わたし以外のだれかだったら、慌ててこの場を去るに決まっている。

 わたしってば、なめまくられているわよね。