大嫌いの先にあるもの

今日の黒須は珍しくスーツじゃない。グレーのチノパンに白いワイシャツ姿だった。前髪も下ろしているから、普段よりも5歳ぐらい若く見える。

いつもと違う柔らかな雰囲気に胸がドキドキしてくる。
急に引っ越し屋さんの前で黒須に抱き着いた事を思い出した。
黒須の胸に顔を埋めて泣いてしまったんだよな。今思うと恥ずかし過ぎる。なんて事をしちゃったんだろう。

「春音、顔が赤いよ?」

黒須が心配そうにこっちを見た。

「熱でもあるんじゃないか」

黒須の手が私の額に触れた。反射的にその手を払った。

「き、気安く触らないで」

これ以上、ドキドキさせる行動はしないで欲しい。

「いつもの春音だ」

黒須がおかしそうに笑った。

「これから買い物に行こうか。いろいろと必要な物があるだろ?」

黒須が部屋を見渡しながら言った。

「必要な物?」

「ベッドとか。家主として用意してあげるから」

確かにベッドはあった方がいいかも。

でも、これ以上、世話になる訳にはいかない。

「布団があるから大丈夫です」

「床に布団敷いて寝るのかい?硬くないか?」

「大丈夫です。前の所でもそうやって寝ていたんで」

床は畳だったけど。

「ベッドはあった方がいいよ。おいで」

黒須に腕を掴まれ、そのまま部屋を出た。

どこに連れて行くの?