セピア色から灰色に変わった世界は、あまりにも醜く映った。
 天に届く勢いで建てられている建造物は摩天楼を彷彿とさせる。雑踏の人込みの中で、龍神族が通るとみな敵意と恐れを抱いた視線をぶつけた。彼らは白い衣を纏い、人々の中を歩く。

 それは人間たちの罵声だった。
 救われた者たちが救った者を非難する。
 けれど龍神族たちは誰一人反論せず、歩き続けた。次の目的地に向けて歩き続ける。その中にユヅキの姿があった。フードを被って下を向いて歩いている。

 また魔物の被害に襲われている国に行くと、国を挙げてのパレードや歓迎を受けた。けれどそれは魔物退治が終わるまでだ。
 人間は龍神族を神の遣いと崇めつつも、問題が起こった時の便利な道具だと思っている者が多かった。だからこそ龍神族たちの中には怒りをあらわにする者たちが増えた。

「人間め……! 我々を何だと思っているのだ!?」
「粛清が必要なのでは?」
「いっそ、魔物退治を一時中断してみるのを、龍神様に進言してみるのは?」
「それよりも西の国を治めている陽善様のもとに行くのはどうだろうか?」
「あそこならば、我らも歓迎されるだろう」
「ああ。どちらが優れているかわかるだろうよ」

 龍神族の魂の色が人間に感化されて、魂の輝きが鈍くなっていく。それを敏感に察知していたのはトーヤだった。そして龍神族の暴走をとどめていた。
 龍神族と人間の確執。開き続ける溝。
 俺が優しく接するたびにユヅキは困惑と、疑念を抱いていたのだ。
 信じてそのたびに何度も裏切られた。利用されたのだから。
 当然の反応だ。彼女は深く傷ついた。
 その決定打となったのは、兄の死だった。

 紅蓮の炎が燃え上がり、空を赤く染めていた。
 黒煙と連続的な爆発。咽かえる様なオレンジ色の夕暮れの中、真っ黒な塊が空を穿たんと膨張し、それは形を成した。
 高度な魔法技術を発展させた国ヴァルハラが炎に包まれている。そしてその中心には漆黒の龍がいた。蝙蝠の大きな翼、鹿の黒い角、漆黒に覆われた硬い鱗の九つ頭を持った龍が全てを破壊せんと暴れまわっていた。全てを憎み、恨み、罵詈雑言を叫びながら咆えた。

 ──アアアアアアアアアアアアアアアア!!──

「父様。あれ、陽兄じゃないよね? 兄様が邪龍になるはずないもの!」

 邪気を纏って魔物へと転化した成れの果て。
 倒すべき対象。
 白銀の長い髪をたなびかせ、白い衣を纏った男は首を横に振った。酸漿色の双眸は悲し気に、息子の成れの果てを見据えていた。その手に持つのは白銀の刀。

「ああなってしまった以上、私は止めなければならない。結月は──」
「私も行く。兄様を助けるの!」
「残念ながら、ああなってしまったあの子を助けられるのは《つがい》である者だけ。《刻龍印》を刻んだものならば、あるいは──」

 そこからはまるで映像がコマ送りのように進んだ。
 邪龍を倒す龍神。
 けれどそれは自分の息子を殺す親の構図に見えたのだろう。ユヅキは泣いていた。声を上げて。
 建造物の上からユヅキは、一国の終わりを見ているしか無かった。全てを焼き尽くさんとする灼熱の炎、逃げ惑う人間たちは我先にと他者を押し抜けて、醜く生に縋る。誰も自分たちの王を助けようとする者はいなかった。
 それを見てユヅキは涙を拭った。十五、六の少女は死にゆく兄を、終わりを齎した父を見て、傍に居た男に告げる。

「刀夜。私、強くなる。……そして、私よりも強い人をツガイにするの」
「結月」
「私がもし邪龍になったら父様じゃなくて、その人に殺してもらうの。父様にもう誰も殺させたくないもの。母様が眠って、兄様が逝って、私だけは父様を安心させてあげたい」

 ユヅキはとても強い目をしていた。
 悲しみの中でも、揺るがないその眼差しに見惚れたのは、俺だけではないのだろう。

 それから映像が途切れ、建物の中だろうか。
 炎の中に取り残された少年が映る。黒い角、黒髪の少年は間違いなく龍神族の子どもだ。

「う……」
「ああ。陽善の息子である白衛(ハクエイ)は死んでいたが、君は生き残ったんだな。名は確か劉蓮(リュウレン)だったか」
「…………」
「君に国を一つ与えよう。君の父親が望んだ理想を叶えるために、そして結月がこれ以上、悲しまないように。龍神族が幸福となれる国を、世界を、時代を築こう」

 リュー=レン。
 それは皇国イルテアの初代皇帝の名だ。つまり、俺はユヅキの兄の──。
 全てはトーヤの計画だった。龍神族をいやたった一人の女の幸せの為に国を作り、世界を変えた男。そうやって七百年以上かけて人間の価値観を擦り変えた。
 国が広く大きく、そして文明が発達していく姿がせわしなく続いた。龍神族は長寿だが、トーヤは天界と下界を行き来するためにクローン技術に手を伸ばし、自分の記憶を上書きしていった。

 トーヤの宝玉が赤黒くなっていく。七百年の歳月で一体何度、肉体を取り換えたのだろう。再生するたびに龍神族の力を失いつつあった彼は、天界にいる龍神族たちから力を奪っていく。それは龍神族を増長させないためのものでもあった。
 トーヤの宝玉は黒ずんで以前のような澄んだ蒼はどこにもない。ただわずかに鈍色の煌めきを残して。

「刀夜様! 皇国・鋳輝亜(イルテア)を龍神族の楽園にするためにも、人間の生活水準をもっと下げるのはいかがですか?」
「賛成です。年間で魔物の被害を徐々に増やしていきましょう」

 それは刀夜の側近であるニャンニャンとバセンと呼ばれる男女の進言だった。彼ら以外にも人間に恨みを持つ者たちは多い。ずっと耐えてきた彼らだったが、この二人の戯言のせいで、今まで内に貯めていた怒りが爆発し邪龍、いやそれですらないマガイモノへとなりつつあった。
 それを察知したトーヤはユヅキと龍神を除く、天界いるすべての龍神族を殺すことを決意した。

「龍神族と人間の軋轢は、陽善のせいじゃなかった。そう仕向ける連中が龍神族の中にいた。僕は許せませんでしたよ。龍神様」
「………」
「だから殺したんです。これから殺そうとする同族もそうです。自らの存在を驕る者たちの魂は黒く染まる」

 特別な力を持っているからこそ偉いのではない。「特別な力だからこそ、扱いに気を付けなければならないし、驕ることなどもってのほかだ」と、ユヅキはいつだったか話してくれた。
 だが大半の龍神族はその力と、人間を拒絶することで魂の色を曇らせた。

「いいでしょう。彼らの魂が完全に消えてしまう前に、あるべき場所へ」
「承知しました。……龍神様。一つ伺っても?」

 白銀の髪の男は首肯した。

「龍神族とは何なのでしょうか。なぜ我らは生まれてきたのでしょう?」
「それは人も同じですよ。何のために生まれてきたのか、それを見つけるために人も我々も生きている。ただ普通の人間よりも少し力があった分、それに見合った《役割》を担っているだけにすぎません。魂を磨かなければ摩耗する。他者をねたみ、恨み、憎悪は魂を穢し、破滅に向かう」
「龍神様はそれをどうにか出来ないのですか?」

 白銀の煌めく長い髪、整った顔立ちは無表情で人形のように綺麗すぎた。わずかにまつげが揺れる。

「私はこの地の魔力の流れそのもの。《一にして全》それらを管理するのが役割。神は人を救いはしないし、導きもしない。ただ懸命に足掻き、何かなそうとする者の背中を押すぐらいでしょうか。救うのも、救えるのも自分だけです。龍神族の皆はその力ゆえ、自身の存在を驕り、他者への配慮や思いやる心を欠いてしまった。ならばその滅びも受け入れなければならない」
「龍神族の中で生き残れるのは、結月だけですかね」
「ええ。あの子の心を開く者が現れれば大丈夫でしょう」
「ですよね。……僕は結月こそ本当の強さを持つと思います」

 そう告げたトーヤの声は、とても優しい。

「……それで貴方は本当にいいのですか。損な役回りですよ」
「構いませんよ。それが僕の導き出した最適解なのですから。できれば結月が僕に惚れて邪龍化を止めてくれればいいのですが、もし無理ならその時は龍神様が終わらせてくれませんか?」
「……」

 沈黙というより、躊躇っているようだった。困った顔で僅かに口元を緩めた。

「いいでしょう。貴方がもし邪龍のなるようであれば、私がなんとかしましょう」
「そうしてください」
「……刀夜、もしあの子が貴方を選ばずに別の者を選んだとしたら、貴方はどうするのです?」

 その問いに、トーヤは少しだけ間をおいて答えた。

「滅茶苦茶嫌がらせをして自分の命を擲ってでも結月を守ろうとする馬鹿なら、譲ってあげますよ」
「ほう」
「僕はあの子の二番目の兄のようなものなのだから。損な役回りは慣れている」

 映像は炎によって焼き入れ、気づけば俺の意識は戻る。
 長い夢を見たような不思議な感覚だった。だがあれが龍神族の真の歴史。
 ふと夜が明けつつあった。空が白む。
 腕の中にいるユヅキは眠ったままだ。顔色は幾分か良くなっている。