刀夜は私に向かって手を差し出す。
 その笑顔はゾッとするほど崩れない。にこりと微笑んだままだ。

「あのエンシェント・ドラゴンの核は僕だ。だから僕を救えば、僕を選べば、ここで死傷者を減らすことが出来るし、君は今度こそ同族を救うことが出来るんだ」

 それはまるで思考を奪うような甘い毒。
 優し気に告げる言葉は、それが最適解というかのようだ。

(私が刀夜を選べば、最悪は防げる?)

 今、私の腕の中に居るダリウスは治癒魔法で何とか命を繋いでいるが、虫の息だ。彼に生きていて欲しい。少しでも時間を稼ぐことが最善ではないか。私は涙を必死で堪える。選択肢はあるようでない。

「何しているのですか! 皇太后ならしゃんとしてください!」
「その通りです」

 私の迷いを両断する声が響いた。
 次の瞬間、炎魔法が刀夜に直撃。そのまま見張り台から数十メートル先へと吹き飛ばした。炎の熱が私にも伝わってきた。
 無詠唱の魔法攻撃。
 それも練度が高い。この城砦にカイル以外に魔法を使える人物はいなかったはずだ。見張り台に現れたのは宰相ギルバート=ウォーカーと、黒髪の存在感の薄い男爵令嬢キャロル=ポウエルだった。

 いや二人だけではない。
 クリスティ=オズワルドの姿もある。全身真っ赤なドレスを纏い、ありったけの魔導具を発動させて攻撃魔法を刀夜に見舞う。併せてギルバートは白銀の杖を振るい、攻撃力を増幅させた。白銀の装飾は先端に宝玉がはめ込まれており七色に煌めく。チェーンがじゃらじゃらと付いているが、その武器はずいぶん使い込んでいるようだった。私は予想外の援軍に思考が追いつかない。

「私たちは現皇帝の命によって、復活しかけている魔物の王を討伐しに来たのです。もちろん、前帝と貴女を囮にして」
「え」

 飄々と宰相ギルバートは、重大発言をさらっと告げた。キャロル嬢は少女とは思えぬほどの怪力で、自分よりも巨大な片手斧を持ちながら、漆黒のエンシェント・ドラゴン目掛けて駆け出した。
 一気に加速してエンシェント・ドラゴンの元に到達する。

「はぁああ!」

 一閃。
 鱗、筋肉、骨すら一撃で砕いた一撃は、エンシェント・ドラゴンが叫び声を上げる暇もなく胴から切り離された。しかしエンシェント・ドラゴンは灰とならず、復元しようとする。決定打にはかける一撃だったが、ブレスを防いだ。

「来たか、皇帝の犬」

 刀夜は忌々しそうにクリスティとギルバートを見つめるものの、防御壁を作るだけで攻撃はせず、魔法を防ぐだけに留めていた。

「貴方たちは皇帝の──」
「私たちは皇国魔物殲滅特殊部隊ですわ」
「私は宰相になった時に、引退していたのですがね。皇太后、私たちはアレを抑え込むことしか出来ません。黙っていて申し訳ありません。ですがこの場は私たちの味方になって頂けないでしょうか」
「…………」

 都合のいい願い。いつだって人間はそうやって龍神族に頼ってきた。
 私には戦う力はもう残っていない。このまま私が戦っても勝てない。だから「ごめんなさい……。私にはできない」と答えた。

「はっ──ハハハハハッ! ああ、結月! そうですよね、その通りだ!」

 刀夜は高らかに笑った。彼に攻撃を続けていたクリスティの顔がみるみる青ざめていく。

「嘘でしょう!? 至近距離であの魔法をくらって無傷なんて……」
「都合のいい人間、そうやって数百年前も、あの時、陽善の時も! 人間は勝手に私たちに押しつけて来た! 同族を討つなんて貴女にはできない」
「それは違うわ……刀夜」

 勝ち誇った顔で笑っていた刀夜の表情が凍った。
 私は俯いて腕の中にいるダリウスを見つめる。どんどん息が細くなっていく。毒の進行が思ったより早い。もう時間はなかった。普通の治癒魔法ではダリウスは助からない。

「っ……ぐっ……」
「ダリウス」

 意識が朦朧とした中で、彼はまだ生きようともがいていた。
 私はダリウスの汗をそっとぬぐう。ここで《刻龍印》だけでは足りない。私の龍神族の力を全て使えば可能性はあるだろう。彼の心音が弱まる音が聞こえ、周りの喧騒が消えていく。

「今の私が出来るのは、これぐらいしか思いつかなっかたわ」

 こつん、とダリウスの額を合わせた。
 口元が綻んだ。彼の傷口に手を当て、その傷を私が引き取る《転移魔法》。
 それと同時に私は《刻龍印》を結ぶ。龍神族がたった一度だけ結べるつがいとなる印。すでにダリウスから《求婚印》を受けているので、後は私が答えればいい。
 私は自分で唇を切って、血をダリウスに飲ませる。口移しで。これなら内側からの回復も多少効果を増すだろう。

(こうなる前に、一度キスをしておいてよかったわ)

 好きな人との最初のキスは甘くて情熱的で幸せの味だった。またあのキスをしたいから、私の全てを貴方に捧げることができる。

「ダリウス。……愛しているわ」

 貴方がいない未来など考えられない。「幸せは失わないと気づけない」と言うのは本当かもしれない。けれど失う前に気づけたのなら、絶対に失ってはいけない。

(私を惚れさせておいて、そのまま死ぬなんて許さないわ)

《刻龍印》は互いの心臓の近くに紋様として現れる。それは互いの想いの強さによって変わる。私とダリウスの場合は、蓮の花を中心に白と黒の二本の剣が交差する形で浮かび上がった。眩い白銀の光が私とダリウスの周囲に溢れ、彼の傷口を癒す。

 それと同時に、月明かりがやけに眩く真昼のように夜を照らした。《刻龍印》を交わした龍神族に贈られる神々の祝福。
 天から降り注ぐ癒しの光。それは雪のように空から舞い降りる。カイルたちに降り落ちると傷が癒えていく。
 白銀の煌めきはエンシェント・ドラゴンの動きを鈍らせた。

「馬鹿な……。君はその男を選んだというのか? 同族の僕ではなく」
「残念でしたわね。魔物の王よ」
「黙れ!!」

 刀夜は激高し、クリスティとギルバートの攻撃を弾く。苛烈する攻防だったが、私に出来ることはない。力が入らず、彼の胸元に倒れこむ。

(あ……)

 急速に力が抜けていく。
 私の髪が黒くなり、代わりにダリウスの髪が白くなる。ダリウスを限りなく龍神族に近づけることで、回復力を底上げするためだ。私の宝玉が光を失っていくのが分かる。それでも構わない。龍神族の力を失っても、それでも大切な人を救えるのなら安いものだ。

「ダリウス。一緒に生きて、私を一人にしないで」

 そこで私は意識は途切れた。