──ガアアアアアアアアアアアアア!!

 凄まじい衝撃波。
 耳を劈くような音。
 その咆哮によって、皇国イルテアに張り巡らされていた魔法結界の全てが砕けた。ガラス細工が砕かれたような音と共に、結界という恩恵が崩れ去った。

「チッ。本当に次から次へと俺の邪魔ばかり」
「ダリウス! 私はあの魔物の動きを封じるから、一撃で消滅させるだけの特大魔法の準備をして!」
「それよりも、お前を助けなければ──」
「この程度なら問題ないわ」

 私は魔法剣を二振り作り出す。それは私が最も得意とする武器であり、対魔物戦において最も威力を発揮する。先ほどの作成時間に余裕がなかった魔法剣とは違う。刀の名は双剣・月石刃(ユエ・シートゥ・ダオレン)。湾曲した刀身は白銀のように美しい。刀身から水が吹き上がり、私を捕えていた魔物の手を細切れに切り刻む。舞うように蹴散らすと、空間の切れ目はいつの間にか消えていた。

(今の魔物現れ方も妙だわ……。作為的、悪意的な何かを感じる。でも今はそれよりも───)

 ──ガアアアアアアアアアアアアア!!

 二度目の咆哮は城砦そのものを攻撃し、兵士たちも凄まじい衝撃に当てられ次々に戦闘不能に陥る。
 宙に浮いたままのダリウスは刀を構え、たった一撃の為に凄まじい魔力を込めていた。確かに核を潰すのなら、その方法が一番確実だ。だがそれでは周りの兵たちがもたないだろう。今から避難しても間に合うかどうか。
 ダリウスは私に目配せをした。「なんとかしろ」と。酷い無茶ぶりではないか。けれどダリウスは私の力を信じて任せたのだ。幸いにも腹部の傷は周囲の魔力を集めて応急処置をしたので、多少無茶をしても死にはしない。龍神族は少々頑丈だから耐えられないほどの痛みではない。

(まだ大丈夫……)

 私はすぐさま即席の結界壁を城砦周辺に展開した。無詠唱なので作っては砕かれるが、砕かれた瞬間に結界修復の術式を組み込む。これで数十秒ぐらいは持つだろう。
「師匠、私も手伝います!」と、カイルが結界壁に補強魔法をかけた。

「ええ、ここは頼んだわ」
「はい!」

 自然とカイルに任せることができた。きっと彼らなら大丈夫だろう。私は片手を翳し、自分の残っている魔力を絞り出す。

「色は白、龍の逆鱗を踏みし悪しきモノ。高天ヶ原に神居する諸々の祀り神よ、地を染め、世界を侵さんとする悪しきモノを祓い屠る刃とならん」

 それは高レベルの魔法術式であり神代の魔法。あの魔物はここで仕留めなければならない。
 空にオーロラが浮かび上がり、周囲の空気を凍らせて私の魔法は完成する。

「貫け、砕け、破壊せん──魔法術式極階・冬龍凍(ドンジー・ロン・ジェビン)!」

 一瞬で漆黒のエンシェント・ドラゴンを取り囲む全方位、三百六十度からの同時攻撃。不可視の刃がエンシェント・ドラゴンを襲う。

 ──ギャアアアアアアアアアアアアアア!

 絶叫。
 不可視の刃が魔物の体を貫き続けた。
 次の瞬間、もがくものの竜の体を覆い尽くすように凍っていく。無理やり動こうとすれば、新たな氷の刃がエンシェント・ドラゴンを襲う無限牢獄。
 並みの魔物であれば発動と同時に屠るが、あの巨体の場合は動きを封じる程度の時間稼ぎにしかならないだろう。
 城壁にまでその冷気は届き、見張り台に霜が降りてきた。みな吐く息は白く、身を震わせる者も目に入った。長時間の展開は味方を凍死にさせかねない。

「ダリウス!」
「ああ、任せろ!」

 ダリウスは抜刀の構えで首目掛けて、突貫する。鞘には高密度に圧縮されたエネルギーの塊が解き放たれるのを、今か今かと待ち焦がれているようだった。黒光りした刀は太刀と呼ばれる種類のもので、全長六十センチと常人では振り回すのも困難なほど刀身が長い。

 ──ガアアアアア!!

 エンシェント・ドラゴンも迫りくる死に勘付いたのだろう。動かぬ前足を無理やり動かす。ぶちぶちと凍った前足の一部を引きちぎって、そのままダリウスに迫るが、氷の刃がエンシェント・ドラゴンに次々に突き刺さる。

「喚くな。仮にもドラゴンの形を取ったのなら、王者たる振る舞いを見せろ」

 ダリウスは片腕の筋肉を膨張させ、柄を力いっぱい握り締めた。

「魔術式第十二位階──」
「うん、そこまで」

 その声に私は心底ゾッとした。
 すぐ後ろから聞こえたのだ。膨れ上がった殺意と共に。

「え」
「ユヅキ!」

 ドッ!
 振り返った刹那。
 背後にはダリウスが現れ、次の瞬間。
 彼は背中から胸へと黒い刃によって貫かれた。鮮血が飛び散り、その液体は私の世界を赤く染めた。

「がはっ……!」
「ダリウス!!」

 私とダリウスの背後には白銀の長髪を靡かせた壮年の男が宙に浮いていた。司祭のような真っ白なローブを羽織り、笑みを崩さずに彼はダリウスに止めを刺そうと漆黒の刃を引き抜き、振りかざした。
 キィイン、と金属音が響く。
 漆黒の刃をダリウスは反射的に剣で弾いた。

「これを防ぐか。ああ、でも」
「ぐっ……」

 だが足に力が入らず彼の体は傾く。私は崩れ落ちるダリウスを抱きしめた。
「閣下!」とカイルやクララの悲鳴が上がる。

「ダリウス!」
「ヒュッ、ユヅキ……」
「喋らないで、今治療を」

 私は素早く治癒魔法を重ね掛けする。淡い光がダリウスの体を癒すが、血が止まらない。傷に対して治癒が追い付かないのだ。

「無駄ですよ。結月」

 壮年の男、いや刀夜を睨んだ。
 カイルは魔法壁を張るだけで精いっぱいだ。他の兵士たちもエンシェント・ドラゴンの次の衝撃に耐えることは難しく、突如現れた刀夜()に攻撃をする余力はなかった。

「刀夜。なんで──」
「言っただろう、待っていて欲しいと。けれど他の誰でもない君が追いかけて来たんだ。嬉しくて、愛おしくて、待てずに来たんじゃないか」

 天界で見せた笑顔よりもずっと、狂気じみた歪んだ笑みに背筋が凍り付いた。そこに居るだけで、邪気が刀夜の周囲に纏わりついている。外見だけなら神の御使いと思わせる高貴さがあるが、そこから吹き出す邪気は魔物のそれに近しい。

「がっ……」
「ダリウス!」
「その人間はもうじき死ぬ。僕の結月を惑わした罪だ。毒の激痛と幻覚の中で喉を掻きむしって凄惨な最期を遂げる。もう助かりはしない」
「刀夜!」
「その男と現皇帝には十年前にしてやられたからね。借りは返す主義なんだ」
「じゃあ、やっぱり十年前の一件は……」

 ──オオオオオオオオオオオオオオオオオ!

 漆黒のエンシェント・ドラゴンは喉元がせり上がり、ブレスを吐き出すモーションに入った。間違いなく先ほどとは比べ物にならない衝撃波を放つだろう。

「十年前、この国は腐敗しきっていた。だからゼロに戻そうとしたのに、それをあの皇帝は止めて、この降魔ノ森に僕を封印したんだよ。遺跡があっただろう?」
「なっ!」

 刀夜の白い肌は褐色、白銀の髪は赤黒く染まっていく。龍神族の姿から逸脱した堕天。魔物堕ちした姿に、私は下唇を噛みしめた。邪龍ではなく魔物堕ちした姿に違和感を覚えはしたが、今の私に考える余裕などない。

「君が来てくれたからこそ、僕は封印を破って目覚めることが出来た。上質の魔力をありがとう」
「まさか。私の魔力がずっと回復しなかったのは……」
「そう。僕が奪っていたのさ。十年前、君に《求婚印》を付けておいた甲斐があった。そして君が僕を選び《刻龍印》を結べば、僕は龍神族に戻れる」
「な──」