そして時は戻る──。


 ***


 最初に衝撃。
 次に熱。
 カーラは体当たりするような形で、私の腹部を刺した。緑の髪に返り血が飛び散る。急所を避けることに成功したが鈍い痛みが走った。

「お前さえいなければ!!」
(そう言うのは後にして!)

 私は両手が封じられているので、足を動かしカーラを蹴り上げる。鞭のようにしなやかな動きは思ったよりも力が入っていたらしく、その勢いで彼女は壁に激突して気絶した。「この一大事に何をしている!」と、怒鳴るのをぐっと堪えて魔法術式を完成させる。

「……魔術式第七位階、蒼穹神雷撃!」

 膨大な魔力が組み合わさり雷は眩く空を照らした。白く眩い光が飛来し、次の瞬間、轟音となって魔物に降り注ぐ。
 真っ白な光は凄まじい速度と威力で、魔物アバドンを消し炭にする。
 私はそこで漸く大きく息を吐き出す。じくじくと腹部の傷が痛んだ。

(痛っ。致命傷は避けたけれど、少し深く刺さったかも……。こんな凡ミス、陽兄や父様が居たら絶対に説教ものだわ)

 稲妻による全方位からの攻撃は継続して続けるが、あまりにも魔物アバドンの数が多い。塵に返してもうじゃうじゃと溢れ出る。その圧倒的な量に結界の一部が砕け散った。

 ──キィイイイイイイイイイイイイイ!!

 魔物アバドンは奇怪な声を上げて、一斉に城砦に流れ込んでくる。

(この出現方法も今までとは全く異なるし、黒霧もない。次元の割れ目も見当たらない。まるで転移してきたかのような──)
「師匠! 非戦闘員の避難は完了しました。まもなく前帝がこちらに来られます!」
「カイル!」

 見張り台に騎士のカイルと侍女長のクララに、近衛兵たちが飛び込んでくる。
 場内にも魔物の襲撃があったのか、彼は額から血を流していた。他にも体に切り傷が見受けられる。カイルは私が刺されたのに気づき一瞬だけ顔が強張ったものの、彼は自分の役割を優先した。

「有りっ丈の魔法障壁を展開し、ここを防ぐのです。あと数分待てば前帝が来ます!」
「おおおおお!!」
「我らが皇太后様! 前帝のために!!」

 カイルの鼓舞によって、戦場の空気が変わった。
 それは私には出来ない人を動かす力だ。人は一人では弱いけれど集まることで巨大な力を生み出す。
 結界を破って魔物が城壁へと迫るが、カイルと共に現れた近衛兵たちは自らの魔力を使って防御壁を展開してく。私も稲妻の雨を降らし続けた。すでに私の術式は効果が薄れ足止め程度にしかならないが、それでも数秒でも時間を稼ぐためにも必要だ。

「負傷者は城砦の中に! 皇太后様も!」

 クララの言葉に首を横にする。

「私がここを死守するとダリウスと約束したのだもの、引くわけにはいかないわ」
「しかし、その傷では……」
「応急処置はしたわ。……無茶もしない」
「わかりました。では、私は皇太后様の援護を」
「ええ」

 クララの魔法は風の矢を作り出すもののようだ。これなら魔物を倒すのも難しくはないだろう。
 魔物討伐は龍神族の役割で、人間はそれを遠くで見守っていた。稀に共に戦うという人間もいたが、それでも私たちの戦いについて来られずに逃げだした者もいた。ここにいる兵士たちは龍神族よりもずっと弱い。けれども誰一人として逃げ出そうとはしなかった。
 誰もが今できる精いっぱいをしている。血塗れで、倒れそうになっても諦めない。人間は諦めが悪いというのだけれど、確かにその通りだ。だから誰一人死なせたくない。
 人間だからとか関係なく、この城砦に居る人たちには死んでほしくないのだ。

「皇太后様……?」
「師匠、下がってください。その傷でこれ以上は!」
「カイルたちは防御壁を作り続けて。クララは後方支援を頼んだわ」

 ここから先は龍神族の戦い方という表現が正しいだろうか。化物染みた戦い方。できれば彼らやダリウスたちには見られたくなかった。そんな雰囲気を感じ取ってか、カイルは口を開いた。

「……わかりました。けれど絶対に一人で特攻なんてしないでくださいよ! 前帝に私が殺されます」

 こんな時だからこそカイルは笑って私に告げた。私も彼も血塗れでボロボロなのだけれど、不思議と何とかなると思えてしまう。

「そうね。ダリウスが来るまで持ちこたえるだけでいいもの」
「そうです」

 戦いは熾烈を極めた。
 襲い来るアバドンの数が減る事はない。ダリウスからもらった魔力ももう残りわずかだ。
 剣戟と爆音。
 気づけば私は体が動いていた。襲われそうになる兵士たちを庇いながら戦う。白いマーメイドドレスは破れ、鮮血が舞うのも構わずに私は戦場を駆ける。
 アバドンの鋭い刃が私の背中を切り裂いても、倒れる訳にはいかない。ダリウスと約束をしたのだから。
 この戦いが終わったら「好き」だと言葉にすると。

(ダリウス……と、約束をしたのだから!)

 私は二振りの魔法剣を作り出し、アバドンたちを屠る。黒く蝗に似たそれらは俊敏で、飛び跳ねては集団で襲う。接近戦においては面倒な魔物だ。私のドレスも切り刻まれ、真っ赤なドレスに近い。それでも一匹でも多く、魔物を屠る。

 視界が霞みかけた刹那。
 アバドンの群れは私を飲み込もうと黒い塊なって襲い掛かった。避ける余力は残っていない。
 いつからこんなに息が上がるようになったのだろう。
 いつからこんなに弱くなったのだろう。
 一人だったなら、こうはならなかったというのに。
 誰かを守りながら戦うのは、なんて難しいのだろう。

(それでも……後悔なんてしてないわ)
「皇太后!!」

 足に力が入らない。魔力があれば、武装していれば──。

(避けられない)
風槍(ヴィント・ランツェ)

 黒々とした風が槍の如くアバドンを切り裂く。その熱量、速度に私は心底驚いた。術式では第七位階と変わらないのだが、それでも魔力量の膨大さ桁違いだ。

「だり……うす?」

 私はダリウスのことを勘違いしていたのかもしれない。常時魔力を放出していたアレは普段ではなく、魔力そのものを封じている状態だったとしたら?
 今、肌にヒシヒシと感じている魔力量は、人間とは思えぬほど膨大で強大だ。それこそ龍神族本来の力に限りなく近い。
 甲冑音が耳に響く。
 振り返ると、漆黒の甲冑を全身に覆った彼が見張り台に佇んでいた。羽織る赤いマントが風によってたなびく。全身フル装備の甲冑は魔力で練られたものだったが、腰回りの甲冑のデザインは龍の尾に似ている。そして背にある蝙蝠の翼が羽ばたくと、空を駆けた。
 ダリウスは私を一瞥すると、敵へと視線を移す。

雷槍(ドナ・ランツェ)

 自身が流星の如く空を駆け、漆黒の雷鳴と共に魔物を蹴散らしていく。
 漆黒の稲妻。
 凄まじい攻撃魔法だったが、なんとか彼を目で追うことができた。恐るべき速度と威力だ。兜のせいで表情は窺えないが、瞳に宿る炎は沸々とした怒りが感じられた。
 圧倒的な力。しかしダリウスの強大な魔力に反応して、森が騒がしくなる。

「何か……くる」
「全員、戦えぬものは場内に退避しろ! カイル、お前が指揮を取れ」
「はっ!」
「ユヅキ」

 ダリウスは素早く見張り台へと戻った。着地し、ずかずかと大股で私の元に駆け寄る。よく見れば彼の甲冑は龍の鱗のように固く、まるで龍化した姿に似ていた。

「えっと、見た目はこんな風だけれど、大丈夫よ」
「──ッ」

 ドレスはボロボロだし血塗れだが、私の目を見て彼は黙ったままだ。眉を吊り上げて、怖い顔をしているではないか。
 そんな顔をしなくても私はこの程度では死なないというのに。安心させようと、私はニッコリと彼に微笑む。

「私は、まだ戦えるわ」
「だが!」

 ──ガアアアアアアアアアアアアア!!

 私たちの会話は方向によって途切れた。降魔ノ森は何処までも緑の山が連なり、青々と生い茂る落葉樹の森の木々が震えていた。
 轟音と咆哮。

「あれは……」

 魔物の数が一定数減ると脅威水準を引き上げて第二形態巨大化となると父が言っていたのを思い出す。巨大化したその姿は、私のよく知る天敵だ。魔物の中でも気性が荒く、獰猛で、毒をまき散らす。名はエンシェント・ドラゴン。
 龍神族とエンシェント・ドラゴンとは異なり、強欲と不遜と傲りによって形成されている邪悪なるモノだ。幾度かその姿を見たことがあるが、その姿は歪であった。

(でも──なに、この感じ……)

 ──アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!

 咆哮一つで衝撃波を放ち、森の木々が吹き飛ばされていく。硬度な墨色の鱗、猛禽類の金色の双眸、鷲の脚、巨大な蝙蝠の翼。その巨体は全長二十メートルといったところだろうか。
 常人であれば真っ先に逃げる場面だ。見張り台に居た兵士たちがたじろぐ。

(あれは単に形だけがエンシェント・ドラゴンになっただけのマガイモノ。それに邪龍とは違うはずなのに、なにこの違和感は……)

 そう思いながらも手のひらに氷結魔法の術式を構築していく。冷気による足止め。そのぐらいの魔法なら使えるだろう。周囲に漂う魔力を使いすぎた。魔力が回復をしていれば、こんなことになっていなかったのだが。
 エンシェント・ドラゴンはダリウスに気づき顔を上げた。

(喉元がせり上がっている──ってことは、息吹を吐こうとしている!?)

 私は魔法を展開しようとしたが、それよりも速くダリウスが動いた。
 一歩で彼は結界の外、エンシェント・ドラゴンのすぐ傍に移動したのだ。驚くべき瞬発力と脚力。それはまさに疑いようもない龍神族の力だった。

「負傷者が多くてな。さっさと終わらせてもらおう」

 ダリウスはもう片方の手を掲げた瞬間、漆黒の剣が顕現する。それは大量の魔力によって生み出された魔法剣(クラゼォ・モル)。両手用剣としては小ぶりだが、素早い動きを可能とした剣で、刀身は一メートルだろうか。鍔は刃先に向けて傾斜した形で、先端には飾りが複数ついている。剣には漆黒の稲妻が迸り、剣そのもの質をさらに数段階押し上げる。
 一撃。
 大きく振りかぶった刃は、シャーベットのようにあっさりとエンシェント・ドラゴンを斬り捨てた。
 あまりにも刹那に。
 圧倒的な力でねじ伏せられる。
 豪快かつ城壁への被害を最小限に防いだ。兵たちはその凄まじさに感動し、打ち震え、「前帝万歳!!」と歓喜の声が上がる。
 ドラゴンの姿が崩れてはいるが、いつものような炭化していない。その僅かな変化に気づけた。

「ダリウス! まだよ、あれは核を壊さないとすぐに再生す──」

 最後まで言えなかった。空間を割って現れた巨大な鷹の(あしゆび)に気付くのが遅れたせいだ。

「なっ!?」

 巨大な鷹の(あしゆび)で私の体を掴むと、空間に引きずり込もうとする。

「ユヅキ!」
(魔法じゃ周囲も巻き込む。なら)

 ダリウスは私の元へ駆け付けようとするが、崩れかけたマガイモノはエンシェント・ドラゴンの形へと復活する。

 ──ガアアアアアアアアアアアアア!!