片手を翳した刹那、空中に存在する魔力を凝縮し、それを形とする。眩いゆい光と魔力の奔流が生じて私の髪を揺らす。
 白銀の魔法円が螺旋のように連なり、円の中心に魔力が凝縮していく。これには魔力操作と構築における魔術式を組み立てることが重要となる。そもそも魔導具とは魔法の使えない人間のために、龍神族が作り出した技術だ。ゆえに魔導具作りにおいて熟練度は高い。

「そんな。これは……もう、術式自体が工房そのものになっているというの!?」
「そうよ。かつて人と龍神族の懸け橋とならんと考えた者が編み出し、そして広めた技術。人間でも作れるように工房という形を作ったのもその人よ」

 陽善守那(ヨウゼン=カミナ)。私の兄であり、人と龍神族が共に暮らす未来を夢見た西の果てヴァルハラ国の国王。
 少しだけ救われた。兄様を失っても、その生きた証というのは技術や文化として脈々と受け継がれていくことで、兄の思いは生き続ける。
 空中に集まった魔力を物質に具現化させ、指輪の形となって手の平に落ちる。銀色の指輪には文字が刻まれているが、宝石の類いはない。実にシンプルな造りだ。
「すごい……」と声を漏らしたのは、黒髪の男爵令嬢のキャロルだ。私が作ったのは魔物除けの魔導具で、数回程度なら魔物の攻撃を弾くことが出来るなどと説明をした。その間、クリスティの顔色がどんどん強張っていくのが分かった。

「オズワルド家の魔導具も以前見せてもらったわ。術式がかなり複雑で円状のものをいくつも重ねて効果が出るように改良されている」
「ええ、そうですわ! それこそが──」
「これだと動力源として使っている魔石が術式に耐え切れずにすぐに壊れる。それとも壊れやすいものを作って皇族に高値で取引していたの?」
「オズワルド家が誇る魔術回路のどこか欠陥品だというのですか!?」

 わなわなと震える彼女には悪いが、私は彼女の手にしている数々の魔道具を見て簡単に分析したことを答える。

「魔術式のバランスが悪いわ。結果、耐久性が悪いから数回で魔導具自身が耐え切れず壊れる。私から言わせれば魔導具とは呼べないわね」
「ぐぬぬっ……!」
「特にダリウスのような魔力が高い人間だと、それはより顕著に表れるわ」

 クリスティは歯がゆそうに顔をしかめた。しかし事実は事実でしかないので、彼女は言い返すことも出来ない。いや反撃すれば即座に反撃されるというのを理解しているのだろう。
 ここで追い返せればよかったのだが、強かだったのは彼女の付き人たちだった。

「閣下。申し訳ございませんが、婚約者候補もさすがに来てすぐに追い返せば、家に泥を塗ることとなります。冬を越すまで城砦で過ごすことを許可できないでしょうか?」
「ここは魔物が出没する危険区域だ。戦場と変わらんし、命の保証も出来かねないからこそ、冬になる前に出ることを勧めるが?」

 ダリウスは露骨に追い出そうとするものの、付き人たちは気圧されずに応酬する。付き人たちの年齢はみな二十代後半から四十代前後だろか。ただの付き人ではなく、なんらかの役職を持つ外交官を彷彿をさせる。

「ですが流石に馬も疲れております。どうかしばしの休息を!」
「そうです。せめて冬が来る前一か月ほどの滞在をお許しいただけませんでしょうか!?」
「却下だ。話にならん」

 取り付く島もない。ダリウスは間髪入れずに拒否する。

「我が妻がいるというのに、これ以上婚約者候補などという者たちをこの城に滞在させておけるか」

 烈火のごとく怒るダリウスの演技は見事だった。それを私が宥める。そうすることによって皇太后である私の度量の広さを知らしめる作戦らしい。
最終的にダリウスが渋々頷く、という筋書きに向かうように誘導するのだが──。

 問題は「私が宥める」という部分のセリフなどは全く決まってないと言うことだ。とにもかくにもダリウスが上機嫌になりそうなワード。

(やっぱり、アレしかないのかな)
「では! 一か月。それに今回はダリウス様のために皇国で様々な本を取り揃えてきたのです!」
「そのような荷物が有ると報告書にはなかったが?」
「本の収納場所などの確認するため、珍しい本を積んだ馬車が一か月後に届きますので、それまでの滞在を!」
「珍しい本……」

 僅かにダリウスの心が動く。それを付き人たちは見逃さなかった。私も取っ掛かりを見つけたと目を輝かせる。

「さようでございます!」
「ふむ」
「ダリウス、いいではないのですか? 貴方は本が好きなのですから、そのぐらいは許可をしても」
「ユヅキ……。しかし」

 ジッと見つめる双眸は鋭い。あまりにも熱心に見つめられてしまうと言葉に詰まる。それでなくともダリウスへの想いが日に日に強くなっているのだから。
 ふと、そこで気づく。

(もし令嬢たちが滞在して一緒に過ごすうちに、ダリウスが心変わりをしたら?)

 ダリウスの隣に誰かがいるのを想像しただけで、胸がズキズキと痛んだ。もう自分の気持ちを誤魔化しているのも限界だった。刀夜の目的や足取りは分からないままだけれど、自分がまごついている間にダリウスが誰かを好きになってしまう可能性だってあるのだ。そうなってからじゃ遅すぎる。ダリウスは黙っていた私に、そっと耳元で囁く。

「お前を帝都に連れていくためにも、婚約者問題は早々に終わらせる必要がある」
「どうして?」
「冬が来れば雪で道が途切れるからな。帝都に向かうのに春まで待たなければならない」
(あ、そっか。だから……)

 ダリウスは私が下界に来た目的を知っている。だからこそ私の気持ちの整理もそうだが、目的を優先してくれたのだ。その気遣いは嬉しい。私は彼の耳元に唇を近づける。

「ありがとう。それなら私も約束通り、待ってもらっていた答えを伝える決心がついたわ」
「!」

 恥ずかしくて上ずってしまう。
 ダリウスは目を瞬かせて予想以上に驚き固まってしまった。

「ダリウス?」
「ん、ああ。随分と焦らして煽るのがうまくなったものだ。危うく理性が振り切れるところだった」
(そんなつもりはないのですけれど!?)

 ダリウスは真っすぐに私を見つめて答えを待っていた。
「ユヅキ」と蕩けるような甘い声は反則だ。ここが玉座の間だということを完全に忘れている。さすがにそれはまずい。

「ここじゃ話せないから今日の夜に答える。それで、いいでしょう?」
「ああ! もちろんだ」

 ダリウスは破顔した。不愛想だった彼とはかけ離れた眩しい笑顔に、私は眩暈をおこしそうになった。

「えー、あー、ゴホン! 閣下、それでどうなされるのですか?」

 カイルが空気を読んで声をかけた。ダリウスはすぐに前帝の仮面をかぶりシナリオ通りに幕引きを行う。

「一か月なら認めよう。そうだな、一週間後には宴を開いて式を早めるのもいい。その時はお前たちも同席して貰うとしよう。前帝の結婚式に数少ない名家の者たちが参列したとあれば、聞こえもよかろう?」
(け、結婚??)

 ダリウスは無邪気に笑い、とんでもないことを言い出す。クリスティはますます顔を歪めて私を睨み、キャロルは俯いたままだ。付き人たちは一か月滞在の方が嬉しかったのか、安堵したようにみえる。

「滞在は東の塔のみとさせてもらおう。ここは国境付近であり、魔物が出現することもままある。下手に動かれてしまっては困るのでな」
「……寛大な配慮、ありがとうございます」

 付き人たちは深々と頭を下げた。
 キャロルだけは無事に謁見が終わってホッとしている様子だったが、クリスティは散々だっただろう。まあ彼女たち婚約者候補はダリウス自身というよりは皇太后の地位を狙ってきていたので、目論見が外れたという所だろうか。
 とにもかくにも、これで一応は皇太后としての役割は果たせただろう。


 ***


 安心していた私に、衝撃が走る。
 謁見の後、宰相であるギルバート=ウォーカーが早馬で書簡を持って駆け付けたからだ。そのためダリウスと私は執務室で出迎えることになった。
 わざわざ皇国の宰相が自ら訪れるのだから、帝都で何か起こったのかと身構えたのだが──。なんてことはない、前帝の結婚披露宴についての調整とパレードの話だった。思わず力が抜けてしまった。

 ギルバート=ウォーカー。
 赤紫色の長い髪に知的な縁なしフレームの眼鏡、目鼻立ちが整った優男は年齢にして二十代後半だろうか。にこにこと笑顔が嘘っぽいが、何を考えているのか捉えどころのない人だった。
 刀夜とは雰囲気が全く違うのだが、相当頭は切れるようで考え方に関しては刀夜に近しいものを感じた。この手の人は本当に勝ちを得たいとき手段を選ばない。道徳、倫理観やモラルなど捨てることができる。

 軽くギルバートと挨拶をしたのち、先に執務室を退出した。ダリウスも一緒に退室しようとしていたが、まだ仕事の話が残っているとか。

(ダリウスと夜に話すこともあるし、少しだけ自分だけの時間が欲しいわ。いまさら告白なんてどうすれば……。『好き』って言葉にすればいいのかしら?)

 執務室は城砦の中央にあり、私は西の塔へと繋がっている回廊を進む。
 視界の端にオレンジ色の夕暮れが見え、窓への向こうへと視線を向けた。
 これから数日間、婚約者候補たちが強硬手段に出る可能性は十分にある。その場合真っ先に狙われるのは私だ。純粋に武力だけならば多少自信はあるが、それでも油断すれば足元をすくわれる可能性はある。
 人間は狡猾で、時には理解できない大胆で愚かな行動をする。十分に警戒は必要だ。

(それにしても婚約者候補たちが在中の間、ダリウスは東の塔に寄り付かないつもりね。清々しいほどの塩対応だったわ)
「ユヅキ様」

 ふと執務室の残っていた宰相のギルバートが姿を見せた。私の前に居るのは先回したからだろうか。彼の笑顔からはなにも読み取れない。私はそれとなく警戒しつつ笑顔で接することにした。

「これは宰相閣下。私に何か御用ですか?」
「貴女様だけに、お話をしたいことがございまして……」
「なんとも煮え切れない言い方ね。それで用件は?」
「トーヤという名に、心当たりはありませんか?」
「!?」

 呼吸が止まった。
 まさかここで、その名が出るとは思わなかった。
 トーヤ。刀夜のことだろう。私は目を見開き彼を睨んだ。一瞬で私と彼の間に緊張感が走る。

「これでもこの国の宰相ですから、独自の情報網があるのですよ」
「それで、その情報を提供するために私に何をさせたいの?」

 ギルバートの笑みが僅かに揺らいだ。

「察しが早くて助かります。何、簡単なことです。ダリウス殿との結婚を止めて頂きたい。あの方の皇太后になるのは、少なくともあの四人の令嬢から出ないとこちらとしても困るのですよ」

 人間社会には立場や階級、しがらみが多い。その最たるものが皇族だ。だからそういった話が出ることは容易に想像できていた。

「なら貴方に頼らずに自力で刀夜を探すわ。貴方が刀夜の名を知っているというだけで、私にとっては収穫だったもの」
「…………」

 交渉拒否をした瞬間ギルバートは笑みが消えた。国の利益だとか維持のために、ダリウスの隣に誰かが居座ることなど許せなかった。

(好きになってしまったのだから、しょうがない。面倒な立ち位置も、その人と一緒になるのなら受け入れられるものなのね)
「なるほど。前帝が貴女に惹かれたのは、体質だけではないのでしょうね」
「それはどうも」
「では、もう一つこちらの持っている情報を提示しましょう。トーヤはまもなく貴女の元に訪れます。それは厄災を形にした最悪の再会となる」
(厄災……。訪れる最悪の形……?)

 脳裏に過ったのは、刀夜がすでに邪龍になっているという可能性だった。もしそれを皇族が知っていて隠蔽していたとしたら?
 それともその情報すら嘘の可能性もある。どちらにしても警戒するに越したことはない。