二か月後。
 その間、私の怪我は殆ど完治し次は魔力の回復を待っていた。普段なら魔力の回復も早いのだが、今回に限ってはなかなか戻らない。焦っても仕方がないと、私は体を動かすためにも稽古をしようとしたのだが、ダリウスから猛反対された。魔力が回復していないのに、体を動かすことを心配、いや懸念しているのだろう。なので、私は「戦ってみればわかるでしょう?」と彼を挑発してみた。
 が、甘かった。

「その手には乗らん。だいたい──」

 かれこれ三十分ほど、くどくどと説教をされた。病み上がりだのなんだの。私のことを心の底から心配しているのが嬉しかったが、また魔物が出た時に「戦えませんでした」などという訳にはいかない。そもそも私は龍神族で下界に降りてきた目的の一つは魔物討伐なのだから。
 そうはいってもダリウスは頑固だ。一度駄目だと言ったことに対して簡単には折れない。ゆえに私は身を切る方法で再び提案する。

「……ここで稽古を許してもらえないのなら、《降魔ノ森》へ旅に出るわ」
「なっ!?」
「あ、契約は守るわ。婚約者候補たちが来るまでには戻ってくれば良いでしょう」

 皇太后役を中途半端に投げ出すことにはなるが、弱いままでは困るのだ。せめて戦いの感覚だけでも取り戻したい。
 ダリウスは酷く驚いた顔をしていたが、それは数秒だった。

「……わかった。稽古をするのはいいが」
「?」
「露出の高い服装だけはするなよ」
「ん?」

 思っていた反応と違っており、私は小首を傾げた。

「ダリウスは女が戦うのが嫌だから、『稽古をやめろ』って思っていたんじゃないの?」
「はあ? 違うぞ。お前の体が心配なのは本当だが、お前を他の男どもに見せたくなと思っただけだ。特にカイルにはな」

 ますますダリウスの心情が理解できずに私は眉を寄せる。

(そういえば昔、兄様も王女に似たようなことを言っていたような……?)
「はあ。見苦しい嫉妬だ。……くどいかもしれないが稽古でも無茶は──」
「嫉妬」

 あまりにも自分とは縁遠いフレーズに、私は顔が熱くなる。今までダリウスのスキンシップが多かったことや、甘い言葉を告げることも皇太后役のためだと誤魔化すことが出来たが、今回は違う。恥ずかしさと嬉しさが私の中に広がっていく。
 私の変化にダリウスが気づかない訳もなく、「ほう」と悪戯を思いついた子供のような笑顔を見せた。

「なんだ、俺がお前に惚れていると言っているのに、自覚していなかったのか?」
「──っ」

 直球な言い回しに私は言葉に詰まる。
 これ以上、この話を続けてはいけない。そう判断した私は稽古の話に戻した。

「それより稽古なのだけれど、ダリウスの実力が知りたいわ」
「構わないが……」

 渋い顔をするダリウスに、私は一つ賭けをすることした。

「稽古で私に勝ったら、褒美にキ、キスしてもいいわよ?」

 自惚れにも程がある内容だったが、ここで「なんでも願い事を叶える」なんて神様めいた発言をしたら面倒なことになるのは、火を見るよりも明らかだ。今度こそ「結婚して欲しい」とか言いだしそうだもの。
 しかしこれで「魅力的だ」と思われなかったら自意識過剰で痛すぎる。

「はっ。キスと言ったってどうせ、頬だとか額とかいうのだろう?」

「やれやれ」とダリウスは興味ないセリフを吐いているが、口元の笑みが隠し切れていない。どれだけキスして欲しいのだろうか。雰囲気からして満更でもないじゃないか。チョロすぎる。ちょっと嬉しいと思ってしまった自分がいた。「違うそうじゃない」と私は頭を振った。
 私は賭けが成立すると踏んで、調子に乗ってレートを上げることにした。

「キスって言ったら唇に決まっているでしょう」
「その言葉忘れるなよ」
「もちろん」

 それからは早かった。朝食でこの会話をしてから二時間後。
 城砦から出てすぐ傍の稽古場へと、私とダリウス、そしてカイルと衛兵数十名を連れてやってきた。
 本当は城砦にも訓練場はあるのだが、建造物の破壊を恐れて城外で行うこととなった。私としても周りをあまり気にせずに動けるのならその方が楽なので、快く了承する。

 皆の服装を新たに見ると小手や具足、胴回りに甲冑を着ている者が多く軽装のようだ。まあフルプレートの者も居なくはない。漆黒の鎧を身に纏い、素顔を隠すように漆黒の兜までつけたダリウスは、いつになく気合が入っていた。両手剣のグレートソードを背中に背負っているが、腰には遥か昔に栄えた東洋の刀を携えていた。なんとなくアンバランスのような感じがあったが、不思議と違和感を覚えなかった。

(というか完全武装って……ガチじゃない!? いやちょっと待って、あの鎧から魔力が感じられるけど、もしかして纏うことで魔力の放出を抑えている?)
「さて、ここなら多少派手に暴れても大丈夫だろう」
「そうね。……それにしても、その鎧を着ていると魔力の放出は抑えられているのね」
「まあな。体への負担が大きいので長時間は着用できないが──」
「が?」
「今回は絶対に負ける訳にはいかないからな」
(負けず嫌いなのか、それと本当に……)
「後で無効にしたら──」
「しないわよ! さっさと始めましょう」

 私は背を伸ばしながら気軽に答えたのだが、ダリウスはその場から動かなかった。代わりに、傍に控えていたカイルが佩刀していた剣を抜いた。片刃の刀──サーベルは刃渡り八十センチだろうか。軍用の携行武器としては一般的だ。カイルは黒の軍服を着こなし、籠手と具足だけのかなり身軽な格好をしていた。周囲を威圧するほどの覇気が大気を震わせた。

「それでは皇太后。殿下との稽古の前に、お相手をお願いします」

 私は「これ、どういうこと?」とダリウスに目で訴えた。どうやら彼は最初から私の相手をする気はなかったようだ。恐らく彼も私の力を試す気なのだろう。それならそうと最初から話してくれればいいのに。

「お前の実力がどれぐらいなのか、興味もあったからな」
(私が予想以上に弱かったら、ダリウスは私に怪我をさせてしまうと思ったのよね)

 仮にも龍神族の──龍神の娘に対して、それは配慮ではない。
 侮辱に近かった。
 カチン、ときたのは言うまでもない。

(ああ、そっちがそうくるのなら)

 私の服装はかなり身軽だ。東の民族衣装で白い上衣に白の袴。袖が長ければ完璧だが、七分ほどしかない。傍から見たら踊り子に近しい服装に見えるだろう。もっとも露出度はかなり低いが。

「どこからでも、どうぞ」

 安っぽい挑発に私は口元が緩んだ。強者との戦い。それに心が躍らないならば剣士として、いや戦士ではないのだろう。

「そう? なら最初から全力だと嬉しいのだけれど」
「なっ」

 私は一瞬でカイルの知覚外へと跳躍した。
 構えていたカイルの背後、それも首筋に刃渡り十センチほどの果物ナイフを向ける。瞬間移動などではい。膂力と歩兵によって虚を突いたのだ。気づいたのはダリウスぐらいだろうか。
「おお!」と兵士たちも声を上げる。今の動きでカイルも私の実力を再認識したようで、助かる。

「これは龍神族である貴女に失礼でしたね」
「別にいいわよ。ただ次に本気で来なかったら、その腕折るから」
「承知しました」

 私の武器は刃渡り十セントほどの果物ナイフだ。銀色でピカピカに磨かれている。もっとも手加減をするなら素手(ステゴロ)でもいいのだけれど、それだとあまりにも失礼だから一応武器を見せていた。
 ちりちりと肌に刺す威圧感に、今度は私も構える。

 動いたのは同時だ。
 カイルは魔法を打ち込もうと詠唱を行いながら、サーベルを振り下ろす。なんとも器用なものだと少しばかり感心した。
 魔法による強風が吹き荒れた。
 カイルは間髪入れずに連撃を放つのだが、私は風のように受け流し身を翻す。さすが万年魔物討伐を行ってきた部隊長なだけあって、個々の戦力としては高い方だろう。けれど私から言わせれば、どちらも中途半端だ。
 剣術も、魔法も。
 才能はある。むしろ磨き切れてないで力の使い方を上手くできずに、空回りしているような印象だった。

 そういえば私に稽古をつけてくれた陽兄は、戦うことそれ自体よりも鍛錬によって成長するのを見るが好きな人だった。私はそのことを思い出して、少しだけ嬉しくなった。忘れていた──大事な記憶。
 埋没してしまった兄様との思い出が次々と蘇る。それは私が誰かに稽古をつけているからこそ思い出せた。

「これならどうです! 祖は大地母神の恵を我らに。悪しき魂に眠りを与えん。広範囲特定魔術式──第五位階、土壌突槍!」

 大地が揺らぎ、地中に巨大な地龍のように私目掛けて一直線に駆ける。地面から突如生じた土の槍。常人ならば、なす術なく貫かれただろう。だがこの程度なら魔法による相殺を行わなくても済む。
 本来なら膂力だけで対処もできた。けれど兄様との懐かしい記憶を思い出せたことに対して礼というと少し可笑しいけれど、魔法を使うことにした。
 手を掲げ無詠唱で、掌に超高密度に圧縮した風と炎魔法を生み出す。

「魔術式第三位階──風爆炎」

 その魔法を大地目掛けて解き放つ。
 瞬間。
 大地に巨大なクレーターが生じ、抉れた大地は巨大な衝撃波となって土の槍の威力は相殺される。
 凄まじい爆発がおき、私とカイルの姿は土煙に呑まれた。だが私は目を瞑っていても感知が可能だ。そのまま一気に勝負をつけるべく土煙の中を突っ込む。
 カイルも私が突っ込んでくることを察してしたのだろう。勘はいいようだ。
 金属音がぶつかり合う。
 火花を散らして、彼のサーベルが宙を舞った。私はカイルの首の手前で、果物ナイフを止める。彼は悔しそうな顔というよりも、やり切ったという顔をしていた。次いで心底嬉しそうに微笑んだ。

「参りました」
「うん。私も楽しかったわ」
「おおお!!」
「何だ、今の!?」
「さすがは皇太后様だ!」

 一気に歓声が上がった。その声に、私は微苦笑する。