二日目で龍神族の女が目覚めた。
 この距離で会話が成り立つことに心から驚いた。彼女にとっては、それが当たり前と言わんばかりに言葉を交わす。話してみるとかなり砕けた口調で、それも新鮮だった。

 彼女にはこの国に訪れる理由があるようだ。それも性急な。
 魔物退治だろうか。
 古来より龍神族の役割は変わらない。ならば彼女もまたその掟に従い戦場に立つつもりなのだろう。華奢な体で傷つきながらも、強い意志と覚悟を胸に戦う姿が容易に想像できた。
 彼女の怪我を口実に、話を逸らして時間稼ぎをする。

「替えの包帯を用意するから大人しくベッドで寝ていろ。話はそれからだ」
「あ、うん。……ありがとう……ございます」

 彼女の笑顔に、何より俺の姿を見て魔力が漏れ出ている状況においても平然としている。そんな相手がいるなんて思いもよらなかった。
 だからこそ目覚めた彼女を、特別視するのに時間はかからなかった。
 いや恋に落ちていたというのなら、あの夜空から降ってきた彼女を見た瞬間に惚れていた。

 ユヅキ=カミナ。
 人のぬくもりも、温かさも、これが夢ではないかと何度も思った。そのたびに抱きしめて現実だと確認する。
 一緒の食事、他愛のない会話。それらが成立することこそ全てが俺にとっては奇跡だということを、彼女は気づいているだろうか。
 魔導具を使って一時的に魔力を抑えることも出来るが、そういった者たちとの会談はどこか緊張感、いや恐れがあった。ユヅキを手放したくない。その想いが先行する。

「なんで私は、貴方の膝の上に乗ったまま食事を取らなければならないの?」
「俺と居ても何ともないか検証中なのだ。すまないが少し付き合ってくれ」

 嫌というよりは距離が近くて恥ずかしがっているユヅキに、愛おしさが増した。
 何だかんだ理由をつけて彼女の世話を買って出る。そのたびにユヅキの反応は新鮮で、小首を傾げている顔も愛らしい。
 俺のことも詮索せず、深入りしてこないのは興味がないのか。それとも彼女は彼女で、人間に対して思う所があるのかもしれない。
 どうすれば傍に居てくれるか。
 どうすれば俺を見てくれるだろうか。
 ユヅキが追いかけている相手は彼女にとっても大切な相手なのだろう。それは言葉の端々で感じられた。血塗れで傷を負っていた時も、ユヅキは相手を止めようと無理を重ねていた。
 それが同胞だからなのか、愛なのかは不明だ。だがそんなことはどうでもいい。今、傍に居るのは自分なのだから。
 ようやく見つけた理想の人を、このまま手放す気はない。

「俺と婚約をしてくれないだろうか?」

 少し強引だったが、言質さえとってしまえば共にいる時間は作れるだろう。その間にユヅキの気持ちが傾けば──。


 ***


 それから日々ユヅキを口説いた。
 確かに最初こそ体質に耐性がある人間だと喜んでいたが、彼女との会話は楽しいし傍に居ると安心する。それと同時に何も言わずに、この地を去る予感があった。いっそ自分の身分を伝えて交渉材料を提示した方が、都合がいいだろうか。だが俺の身分を伝えて、態度が変わったとしたら?
「騙した」と、怒り狂うかもしれない。

 龍神族の伝承には、必ず皇族や王族といった上流階級が登場する。となれば権力を持つ者たちに、嫌悪感を抱く可能性は高い。なにせ龍神族が地上から天界に移り住んだのは、当時の王政がそうさせるキッカケを作ったのだとわかる。
 魔物を退治する神の御使い。けれど平穏になった世界で、神の御使いを崇め続けられては困る者たちが居たのだろう。それこそ王政は自分たちの立場が失うと怯え、非道な方法を用いた可能性も十分にある。だからこそ怖かった。俺もその一人に数えられたら──。

『殿下は本当に、龍神族の姫が好きなのですね』
「なんだ、その姫というのは?」
『殿下が、お慕いしている方の名前を、教えて下さらないからではないですか。他の者は「皇太后様」とお呼びしていますけど?』

 悪びれもなく、ずかずかと本音を言うのはカイルだった。魔力耐性は高い方だが、俺と面と向かって会話するのはせいぜい十分が限度だろう。それゆえ俺とカイルは魔導具による念話で小まめに報告を貰っている。

 まさか恋愛話をするとは夢にも思っていなかった。それはカイルも同じようでユヅキのことを好きだと打ち明けた時、心から喜び祝ってくれた。カイルぐらいなら紹介してもいいかもしれないが──。

『それで龍神族の姫のどこに惚れたんですか? チラッとしか見えなかったですが、かなりの美人でしたよね。ウエストも引き締まっていて胸も中々です。なによりいい体をしていらっしゃる。薄っすらとですが傷痕が──』
「今からお前の記憶が消去するほど殴ろうと思うが、それとも今すぐに自力で忘れるか?」
『忘れます、忘れますから、閣下。私は何も見ていません! ……あ、じゃあ。どんな戦闘スタイルなのか聞いてもらえません? もし出来るなら、手合わせもしてみたいですね! 肉弾戦(ステゴロ)、剣術勝負、魔法合戦なんでもいいですので、聞いてください。そのぐらいならいいですよね、ね!』
(そうだ。こいつもある種の戦闘狂だった……)

 こいつは根っからの龍神族に崇敬している。カイル自身は見た目こそ龍神族に近いが、その実魔法量や身体能力に至っても人間とさほど変わらないのだ。だからこそ本物に憧れる。龍神族の持つ魔法の数々をその目で見たい騒ぎ、手合わせ出来たらと考えているだろう。武人として分からなくもないが万が一にもユヅキがカイルに惚れられたら、という嫉妬心が芽生える。
 心が狭いと言われても、構わない。
 この際、龍神族の伝承にある《求婚印》を付けてしまおうか、と気持ちが先走ってしまう。あれは自分が惚れているというのを相手、周囲にアピールするのはもちろん、正式に婚姻を申し込むのと同義だ。自分の身分を明らかにしてからだろうか。

 何度目かの朝を超えて目が覚めるたびユヅキが傍に居て安堵する。普段明るく振舞っているが、夜寝ていると泣いていることがままあった。誰も知らない土地に降りたことや、同胞の目的を挫くためどこか焦っているのかもしれない。傷の回復が人間より早いだろうが、歯がゆいのだろう。
 俺に出来るのは涙を拭って、抱き寄せることだけだ。
 腕枕をしてソッと抱きしめると、少しだけ身を縮こませて身を任せてくれる。温もりを求めて擦り寄る姿は愛らしくてしょうがない。

「愛している」
「ん……」

 俺を弱いと思っているのか、それとも迷惑をかけたくないと遠慮しているのか、理由は分からないが、ユヅキは俺を頼ろうとしない。彼女が望めば、なんだって叶えてやろうと思うのに。

(俺が前帝だと話せば頼ってくれるだろうか。それだけの力と情報網はある。……体の傷も癒えてきているのなら、明日にでも話しておくのも悪くない。前帝だと知られて距離を置かれることを怖がっていても、いずれバレるのだからな)

 そう決意した翌日。
 目を覚ました時、彼女はベッドにいなかった。
 たったそれだけの事だというのに、血の気が引くのを感じた。

「ユヅキ!?」

 絞り出した声は自分でも驚くほど、かすれていた。
 目の前から愛しい女が消える。
 ようやく埋まりかけていた空洞が一瞬で砕けて、より大きな穴が開いていく。

「ユヅキ!?」

 馬鹿みたいに彼女の名を呼ぶが返事はない。
 いなくなった。昨日までそこに居たというのに。

(ユヅキが約束を破った? いや、そんな真似をするような女じゃない。なら誰かに──?)

 俺は後悔し、慌てて身支度を整えていると、唐突に魔物の気配が生じた。最悪な時ほど物事は重なるものだ。

(よりによってこんな時に!)

 そう思った刹那、膨れ上がる魔力と雷鳴。
 おそらく第七位階魔法かそれ以上の魔法攻撃。それも詠唱時間の短さと威力は──。
 急ぎ塔の屋上めがけて駆け上がる。

「ユヅキ!!」

 展望台に辿り着くと、淡藤色の長い髪と白のワンピースが風で揺らいだ。未だ痛々しい包帯をしたままの彼女の姿を見て、慌てて駆け寄る。すぐさま抱き上げると、彼女は頬を赤らめて小さな抵抗をした。恥ずかしいだけで、本当に嫌がっていないのを見て心から安堵する。
「散歩してただけ」と呟き、大人しく抱きしめられる彼女を見るたびに、少しだけ過信してしまう。心を許してくれただろうか──と。半面、俺が前帝だと告げる前に知られてしまったのはバツが悪かったが、ユヅキの反応は以前と変わらなかったことにホッとした。

 今回の襲撃は突発的なものだったが、魔物の襲来は増えるかもしれない。
 俺の戦いは周囲を畏怖させる。この強さにユヅキの表情が変わるかもしれないと思うと、怖い。
 戦闘狂の前帝()がたった一人の女にこうも振り回されるとは、思いもよらなかった。