「では、今から通報システムのデバイスを配る。名前を呼ばれたら取りにきてくれ」

 担任の阿部(あべ)先生はそう言うと、段ボールから小さな箱を取り出し始めた。
 老眼があるのか、目を細めながら名前を確認している。

「……秋成翔平(あきなりしょうへい)

「はいよっ」

 出席番号一番の秋成くんは、軽快な足取りで教壇まで歩いていく。

 
 ――それにしても、“通報システム”ってなんなのだろう。

 
 夏休み明けの今日、朝一番に「うちの市が通報システムの試験運用地として選ばれた」と言われた。聞き慣れない言葉だったけど、必要なものを配ってから説明をするらしい。

「――久代杏里(くしろあんり)

 っと、私の番だ。
 先生から箱を受け取る。真っ白な箱にはシールが貼られていて、細長いバーコードの上に私の名前が書かれていた。


【桜川市 草間中学校 2年2組:久代杏里】


 席に戻ると、仲良しのめぐみちゃんが席にきた。
 
「ね、どんなの入ってるの?」

「すぐめぐみちゃんにも配られるよ」

「でも、気になるじゃん!」


 ポニーテールを揺らしながら笑うその表情は、心なしか夏休み前よりも大人っぽく見えた。

 急かされて箱を開けると、スマホのような機械と指輪が入っている。

「なにこれカワイイじゃん」

「スマホにしては小さいし、動画見にくそう」

 普通のスマホの半分くらいの大きさしかない。指輪は……ゴムみたいだけど、内側には金属のような素材が見える。

 ふたりして首を傾げていると、めぐみちゃんの名前が呼ばれた。

篠原(しのはら)ー、篠原めぐみー」

「あ、わたしだ。またあとでね」

 みんな配られた箱の中身を興味深く見ている。
 全員に行き渡ると、先生はプリントを配り始めた。

「では各自プリントに目を通しながらでいいから、説明を聞くように」


 私は阿部先生の声のスピードに合わすように、プリントを読み進めていく。


 【桜川市・通報システム(β)試験運用のご案内】

 昨今の日本の状況を顧み、日本政府は通報システムの運用を開始することにしました。
 その試験運用地が、桜川市に決定したので通知いたします。
 通報システムに必要なものを送付しますので、本日8月29日より装着してくださいますよう、お願いいたします。試験運用にご協力いただいた市民の皆様には、特別給付金として年齢に関係なく30万円を交付いたします。つきましては、各デバイスの装着・設定をお願いいたします。

 【通報システム開始の背景】
 
 日本では、犯罪、いじめ、自殺などの件数が大きく増加しています。諸外国に比べその数値は異常であり、日本政府としては対策が必要だと判断しました。日本の未来のため「誰でもすぐ」「通報できる」「判断できる」対策が『通報システム』です。

 【システムの使い方】
 
 ①指輪型デバイスを右手小指に装着し、タブレット型デバイスと同期させる。
 ②通報したいことがあった場合、タブレット型デバイスから報告する。
 ③詳細を確認・判断し、対応が完了すると通知が届きます。

 ※操作やシステムに関して不明なことは、端末に備わっているヘルプ機能でもご確認いただけます。


 一通り読み終わったあと、先生が大きな咳をひとつする。生徒達は『30万円』という言葉を聞いたときからざわついていたので、きっとこの咳は静かにしろという合図だろう。


「つまり、だ。お前らにわかりやすく説明すると、SNSやオンラインゲームでも悪質なユーザーやバグ・不具合は通報や報告が出来るだろう。あれが現実でもできるようになるってことだ。誰かが悪さしていても、自分が言ったとバレたら嫌だから言えないだとか、そういう煩わしいものを気にしなくていい。いじめはもちろん、悪い大人を通報したっていい。普段歩く道路に異常があったりしたときも、この通報システムから報告が可能だ。国民がお互いを信頼し、危ないものを報告していく、助け合っていく社会になっていくための施策なんだ」

「先生、通報されたらどうなるの?」

 秋成くんが手を挙げながら話す。

「通報内容によって対応が変わる。災害などの緊急時のことも考えられていてな、その指輪が大切な発信機能を担っているから、絶対に外すなよ」

 そう話す先生の右手の小指には、すでに黒い指輪が装着されていた。

「では、各自端末の電源を入れて、自分の指輪とタブレットを同期させろ」

 電源を入れると、黒い液晶画面に白色の文字が浮かび上がる。

 【通報システム(β)】

 【指輪を右手小指にはめ、タブレットに近づけてください】

 【――認証しました】

 電気のような、少しだけピリっとした痛みを指に感じた。

 「同期が終わったら大切にしまっとけー。お前らのことだから、色々触ったらすぐに慣れるだろう。それじゃ、次は夏休みの宿題を提出しろ」

 途端に「えー」と言った声が教室を埋めていく。通報システムでなにができるのかみんな知りたいし、触りたいのだろう。……もちろん、私も。

 だけど阿部先生は怒らすと怖くて、草間中では有名な“ハズレの先生”だ。私はタブレットをスクールバッグに入れ、かわりに山のような宿題を机に重ねていった。