(せわ)しない師走が過ぎ去り年が明けて数週間。
 例年よりはやや侘しい正月を終えた街は、未だ厳しい寒風に耐えるように細々とその活気を取り戻そうとしている。
 幸枝はいつものように会社の自席で作業をしているが、気温は低く燃料が制限される昨今は指が思うように動かず打鍵が遅くなる。
 暖かい緑茶を淹れて社員の机を回り、最後に緑茶を注いだ自分の湯呑みを両手で包み込み手を温めつつ作業に戻るのが年明けの彼女の姿である。
 ある昼下がり、伊坂工業に一本の電話が掛かった。偶然電話の近くで書類を整理していた幸枝は受話器を取る。
 「伊坂工業でございます」
 「此方は高田内科醫院(たかだないかいいん)と申しますが、先ほど伊坂義雄様という方を緊急で診察いたしましたところ、御社の名刺が見つかりましたのでご連絡差し上げました」
 「伊坂義雄は弊社の社員ですが……緊急?診察とは……」
 「容体は安定しておりますが、その詳しいご説明をと思いまして……御家族様にご来院いただけますでしょうか」
 (お兄さまが急病?一体何があったのかしら……それにしても、早く連絡を(よこ)してくれなくちゃ困るわよ……)
 「御住所をお伺いしても宜しいでしょうか」
 幸枝は近くにあった鉛筆と紙切れを手に取り、告げられる住所を書き留める。
 (牛込(うしごめ)……?そんなところにお兄さまが?)
 「直ぐにお伺いいたします。では、はい」
 受話器を置いた幸枝は急いで上階へ上がる。
 階段を駆け上がり一つ二つと壁に付けられた戸を数えながら三つ目の重そうな扉の前に立った。
 「お父様、幸枝でございます」
 「入れ」