「何故このようにしてわざわざお会いしてまで口頭や手渡でのみ連絡を取るのですか。手紙や電話や電報を使えば良いでしょう。それに毎回場所を指定なさるだなんて……(わたくし)其方(そちら)にお伺いするか貴方が此方(こちら)にいらっしゃる方が効率的でなくて?」
 幸枝に同時に多数の質問を投げかけられても、男の顔色は微塵も変わっていない。
 「まず、本件は秘匿されていることが前提である。陸軍をはじめとした数多(あまた)の組織に嗅ぎつけられると、我が軍にも御社にも多大な危険が及ぶためだ。当然我が軍にも密偵が居ないとは限らず、重大な機密事項として扱われている。直接の関係者は最小限だ。郵便や電報は窃取される可能性があり、電話も盗聴される恐れがある。それに、君には暗号を作成したり解読したりする能力は無いだろう。それから毎度異なる時間と場所を指定するのは、密偵を避けるためだ……以上が質問への回答だ」
 一方の幸枝も話を聴けば聴くほどに次々と疑問が浮かんでくる。
 「そこまでしてこの件を隠そうとする理由(わけ)は」
 幸枝は陸軍にこの件を知られたくないからという回答が得られることを期待していたが、これもまた予想外の返答が得られた。
 男は小さく咳払いをする。
 「……陸軍と財閥だ」
 成程そういう事情が在ったのかと幸枝の口角がほんの少し上がった。
 「担当の方は何方(どなた)がいらっしゃるのかについては」
 「それについては心配無用だ」
 幸枝の頭の中は再び「何故」という言葉で一杯になる。
 「せめてお名前だけでも教えていただけませんか、私もその日の担当の方が何方なのか分からないままでは、また今日のようなことになりかねません」