小走りで男に辿り着こうとする幸枝であったが、相手の足取りは大きく、そして速い。
 (一体何処へ向かっているのかしら、着いて行くだけでも大変だわ)
 一方の男は少し離れた背後からヒールの足音が聴こえるのを良いことに迷わず歩を進めている。
 (あれで間違い無いな……伊坂幸枝、我々の取引相手だ)
 駅を抜けた二人は商店の連なる通りに入る。
 男は迷わず細道へ踏み入り、その迷路のような道を右へ左へと進んでいく。
 (相手は代表の令嬢だ。自ずと機密を漏らすようなやつではないと思いたいが、駅で見た限りでは何分目立つ人間だな……この戦時に際しても洋服で断髪とは、一眼で上流の物好きだと分かってしまう)
 一軒の掛け茶屋の前で立ち止まった男は、幸枝に目配せをして店に入る。
 (此処で話をするのかしら)
 こぢんまりとした質素な店内には、餡子の香りが(ほの)かに漂っている。
 席に着くや否や、男は品目の書き並べられた壁を見渡した。
 「ご注文は」
 「……餡蜜」
 「私も餡蜜で」
 茶屋には幸枝と男以外の客はいない。
 「あの……」
 幸枝はポケットに仕舞っていた小さな紙を差し出す。
 今日の待ち合わせ場所と時間が書かれていたものである。
 「担当の方でいらっしゃって?」
 紙を受け取った男は、
 「ああ、そうだ」
 と頷く。
 「代表から話は聴いているな」
 またしても男の眼鏡の奥から強い視線を感じる。
 「ええ。ですが、詳細は担当の方からご説明いただけるとのことで……この件については私からもお伺いしたいことが幾らかあります」
 ため息を漏らした男は、給仕された餡蜜を片手に話を始める。
 「……御社には我が軍より指示を受けて兵器、軍艦の部品の製造を行ってもらう。此処までは理解しているか」
 「それは伺っております」
 「理解しているか」
 「ええ」