春子はやはり乗り気ではなかったが、約束通り金曜日の午後に公園のカスケードへ向かった。勝俊はすでにその場所にいて、クロスを使ってホルンを拭いている。
 実はこの日勝俊が春子だけを呼んだのには、理由があった。単純なことではあるが、勝俊は春子に淡い恋心を抱いており、二人きりで会いたいと思っていたのであった。友人と春子とが彼のホルンを初めて聴きに来た日からのことである。よく話す活発な友人に比べて、静かで大人しそうな春子が一際(ひときわ)美しく見えた。
 「松原さん、来てくれたんですね」
 「どうも」
 勝俊は春子が来てくれたことを心から嬉しく思っていたが、春子はただ目で挨拶をするだけである。
 「それで、私に聞いてほしい曲というのは……」
 クロスを畳んだ勝俊は、その指をホルンのレバーに掛け、マウスピースを唇に近づけた。
 「とにかく、僕が今から演奏しますから一度聴いてみてください」
 勝俊の奏でるホルンは、伸びのあるメロディと叙情的な余韻が特徴的な一曲である。演奏を終えた勝俊はホルンを下ろし、それまで春子に対して横向きに立っていた身体を、春子の方に向けた。
 「どうです。美しい曲だと思いませんか」
 「さあ……私はさほど音楽に詳しいわけではないので」
 春子は流行歌を聴くのは好きであったが、クラシックには馴染みがなかった。さらに、そこまで真面目に聴いていなかったこともあり差し支えのない返答を選んだが、勝俊の横に立ってホルンを聴いていても頭に浮かんでいるのは清士のことである。