幸枝は同じ映画を上映期間中毎日見ているが、映画を見ている最中の彼女の目は常に爛々としている。
 銀幕に映る光が目に映るだけでなく、銀幕で繰り広げられる世界が彼女自身を照らすのである。
 映画を観終わると、幸枝はいつも満ち足りた表情でその場を後にする。
 そして食事をしたり喫茶店に行ったり、あるいは他の映画や演劇、レヴューを観劇したりしてその晩を気ままに過ごす。
 彼女は今日も映画を観て、高揚感を抑えながら映画館を出る。
 外の空気を胸いっぱいに吸い込むと、秋の哀愁に迫る冬の訪れの感覚が鼻につく。
 寒い冬が来るはずだが、今年の冬はこれまでと何かが違う。
 市民の熱気、期待に包まれる街、堂々と闊歩する人々。
 ぼんやりとした気分で雑踏を眺めていると、
 「伊坂さん」
 と名前を呼ばれた。
 (この場所で私の名前を知る人は居ない……では誰が?)
 幸枝は少し警戒しながら声の聞こえた方に目を遣る。
 そこには昨日見たばかりの人物がいた。
 「……成田さん」
 何故この場所に彼がいるのか、皆目見当がつかない。
 詰襟と外套に制帽の、すらりとした立ち姿がこちらに近づいてくる。
 「浅草に数々ある劇場の一つに過ぎない此処で、私が映画を観終わって出て来たと同時に丁度貴方に会うだなんて……偶然ね。それとも、こんな状況を必然と呼ぶのかしら?」
 幸枝はふんだんに皮肉を込めて、彼が自分を訪ねた経緯を探ろうとする。
 「……場所を変えましょう」
 溜息混じりの清士は、幸枝を一瞥(いちべつ)して雑踏に足を踏み入れる。
 迷いなく進むその足取りは、昨日の喫茶店に向いていた。