雑踏の中に、軽快なハイヒールの音が聴こえる。
 庶民の娯楽の場、浅草。ここには映画やレヴューの観客が毎晩押し寄せる。
 徐々に戦争の足音が本土にも近づいているが、市民はいっときの憩いを求めてこの地へと足を運ぶのだ。
 浴衣や着物の女性に、中折れ帽の紳士、詰襟の学生など様々な風貌の人々が歩く通りに、一際注目を集める少女の姿があった。
 真っ直ぐに切り揃えた黒い断髪、きらりと光る装身具と膝下丈のスカート。
 さらには駱駝色(らくだいろ)に黒の爪先が映えるハイヒールを履いて、一人闊歩している。
 少女はこの晩、好きな俳優の主演した映画を見に映画館へ赴いていた。
 (今回の映画も良作だったわ……それにしても、あの方はなんて格好良いのかしら。一度お会いしてみたいものね)
 その俳優は、絶世の二枚目と評される人物で、少女も例に漏れず彼の美貌に引き込まれたのであった。
 銀幕のスターと呼ぶに相違ないその俳優は到底目に掛かることもできない人物であったが、少女はいつか何かの拍子に、偶然にでも出会うかもしれないと期待しつつ街に出ている。
 満足気に通りを歩く少女であったが、突如として、自身の持っていた鞄が軽くなっていることに気が付いた。
 (がま(ぐち)が無い……!)
 ガサゴソと鞄の中を探りながら歩く少女は、焦るように来た道を戻り始めた。
 ゆっくりと歩く人々の隙間を縫い、視線を自身の足元へと落とすが落とし物は見つからない。
 (弱ったわね……お金が無いんじゃあどうしようもないわ)
 早足で歩く少女の目の前に、突然人影が現れた。