それでも、私と結婚すれば軍での待遇は融通できるという理由を付けてでも清士のもとにいたかった。
 数年思い続けた感情は変わることがなかった。
 一方の清士は、結婚するつもりのない自分に対してどれだけでも好意を見せてくる春子が少し鬱陶しく思えていた。
 軍人一家の娘だからこそ時勢は読めていると期待していたが、清士にとって、春子はやはりいつまでも子供じみた、妹のような存在であった。
 清士は春子の目をしっかりと見て話す。
 「良いかい、僕は誰とも結婚しない。春子ちゃんには悪いが、誰一人として嫁に取るつもりはないから、もう帰ってくれ」
 突然の断りを受けた春子は動揺した。
 てっきり昨日、自分の父と清士の父は自分達が結婚することで合意していたとさえ思っていたが、現実はそうではなかった。
 「……酷いわ」
 春子の目には涙が浮かび視界がぼやけていたが、それを悟られまいと部屋を後に成田家の邸宅を飛び出した。
 「清士兄さん……こんなのあり得ないわよ」
 春子の足は日本橋区にある幸枝の家へと向かっていた。
 旧華族とはいえ成功した一家の令嬢である幸枝の家は、成田家に劣らないほど大きい屋敷である。
 突然の訪問で通してもらえるかと不安になりながらも、玄関の戸を引く。
 「ごめんください」
 人の声も、足音も聴こえない。
 「ごめんください」
 (しばら)くすると、屋敷の奥の方から足音が聴こえてきた。
 「まあ、春子ちゃんじゃあないの。どうしたの」
 (ようや)く出てきた人物を見て、春子の視界はまた潤んだ。