「清士兄さん、いらっしゃいます?」
 秋の風吹く日、少女は成田家の邸宅を訪れていた。
 「まだ戻ってきておりませんが」
 玄関へ春子を迎えに出た女中のふみは、壁掛け時計を見上げる。
 「もう十分(じっぷん)もしたらお見えになるかと……お待ちになりますか」
 「ええ。お邪魔しますわ」
 女中に案内された応接間には、いくつかの家族写真が置かれている。
 その中には松原家と成田家で集まって撮影したものもあった。
 (……この時はまだ楽しかったなあ)
 「ただいま戻りました」
 遠くから戸の開く音と落ち着いた男性の声が聴こえる。
 その足音は春子のいる応接間へと近づいた。
 (清士兄さんだわ……!)
 春子はこの日のために着た紺のワンピースの白い襟を整え直した。
 「清士兄さん、お邪魔してるわ」
 清士は澄ました顔で席を立った春子の目の前を通り過ぎ、部屋の奥の椅子に腰を下ろした。
 「今日は一体どんな用事だい、まさか縁談話じゃあないだろうな」
 春子は清士の一言を聞いてハッとした。
 「あら……私、清士兄さんの出征が近いと聞いてお訪ねしたのよ。昨日お父様から聞いたのだけれど縁談を前倒しするとか」
 やれやれという表情をした清士は、
 「僕は断ったのだがね。結婚せずに()くつもりだよ」
 と言い、力ない笑みを浮かべた。
 「どうして……清士兄さんはこの家の跡取じゃないの。きっと戦争に行く前に結婚した方が良いわ。私でよければ、お嫁に貰ってくれても……」
 春子は初めて見る清士の表情に戸惑った。
 いつも真面目で、謙虚で、端正で格好良い成田清士は、そこにはいなかった。