結婚は瞬く間に準備が進み、一週間もしないうちに実家に飾っていた三枚の写真は一番左側の一枚が入れ替わり、それらを置いていた棚も一回り大きくなった。
 母の形見として残されていた白無垢に身を包んだ女と引き締まった表情で立つ紋付の男。十年の歳月を経て(ようや)く夫婦となった二人の間には小さな幸せが宿り始めている。
 高辻家に嫁入りした志津は康弘と共に邸宅の離れに住まい、診療所を畳み隠居した父は長年のよしみで高辻家の本邸のうちの一部屋に住むことになった。
 康弘は兄と協力して医師会や区に直談判を重ねた末病院のすぐ近くの角に薬局を造ることを決め、志津はそこで働くことになった。建物の施工が終わるまでは、妻らしく自宅で慎ましい日々を送っている。
 同じ区内での引越しはそう苦労はしなかったが、越してきたばかりの晩に牛込の空にも敵機が飛来し、空襲があった。
 引越しの作業に疲弊した二人はぐっすりと眠っていたが、志津は空襲警報のサイレンでバッと目が覚めた。
 「康弘さん、空襲」
 サイレンの鳴り響く中、飛び起きて離れを出た二人は小走りで本邸の防空壕に入った。
 「良かった、二人も来たか」
 大所帯(おおじょたい)の防空壕はそれなりに広いもので、既に全員が退避している。
 「ママ、怖いよ」
 「大丈夫よ」
 五歳の姪は赤い頭巾を被り、啜り泣いている。義姉(ぎし)はそれを宥めるように子供達を抱きしめていた。
暗闇の中、かつてないほどの速度で夜空を駆ける敵機の轟音が頭上を通り過ぎてゆく。