「おお志津ちゃん、君は此処に座ると良いよ」
 邸宅の主人(あるじ)は次男の隣の席を指差している。
 康弘も志津に目配せをし、彼女は少し照れるような様子で席に着いた。
 「初々(ういうい)しいな」
 義兄はからりとした調子で笑う。
 実際この二人は許嫁となって十年が経とうかとしている頃であったが、普段会うことも少なくこの頃は康弘が外地に居たこともあり、こうして両家が集まることも滅多になかったので、何となく気恥ずかしいような気分なのであった。
 そもそも戦地から還って来た彼に会うのも今日が初めてである。
 志津はこの上なく緊張していた。しかし、食事は談笑も弾むことなく、ただ当たり障りのない会話がぽろりぽろりと溢れる些細(ささい)なものであった。
 寂しげな宴の最後に、主人(あるじ)はひとつ咳払いをした。その場の全員の目線が彼に向く。
 「康弘、そろそろ結婚したらどうだ」
 極めて実直な口ぶりであった。部屋中の視線が康弘と志津に向けられる。
 「えっ……」
 声を漏らしたのは志津のほうである。
 康弘は至って冷静な面持ちで、
 「志津さんと話してきます」
 とその手を引き食堂を出た。
 志津は動揺したままその後をついて行く。
 「志津さん」
 「はい」
 許嫁の表情はかつてないほどに硬直している。
 「除隊になったら直ぐにでも申し出ようと思っていたんだが……」
 口籠(くちご)もる彼を前に、志津はただまっすぐ立ったまま下の方を向いている。
 「……結婚、するか」
 志津は唇をキュッと結び、(うなず)いたのか分からないほどにゆっくりと首を縦に振った。