日々病院で(せわ)しなく働いているが、週末に街に出ることが気分転換になっていた。
 志津は、土曜の午後は決まって駅のすぐ近くにある書店で過ごすのだ。
 ある日の彼女は、午前で診療を終えた病院を後にして、一度家に戻って昼食を摂り、晴れやかな色の着物に着替えてから出掛けた。
 この日は桃色の地に雪のような白の縦縞(たてじま)の入った着物である。
 「行って参ります」
 彼女は町医者の娘であっても一帯ではよく知られた人物で、さらに毎週同じ時間帯に同じ場所へ、同じ道を通って向かうわけで、すれ違う皆から声を掛けられる。
 あるときは住宅の前で立ち話をしている近所の婦人たちが、
 「志津ちゃん、今日はお休み?」
 と声を掛けてくるし、あるときは、
 「志津さん、これからお出掛けですか?」
 と女学生たちに囲まれるし、また、
 「やあ、今からいつもの所かい」
 と駅の方角を指す青年が居る。
 普段は受付の前に座り会計をしたり、あるいは調剤をしたりするだけなので、志津はこういった様々な人と軽く挨拶を交わすだけでも気が晴れた。
 そうしてたどり着いた書店は、彼女にとってはまさに楽園である。
 店内に入ると、顔馴染みの店主が、
 「志津ちゃん、いらっしゃい」
 と笑顔で声を掛けてくれる。
 初老のその店主は、白髪混じりの髪にのっぺりとした顔で丸眼鏡の印象的な人である。
 のんびりとしているように見えて仕事はできる人で、志津は小さい頃から児童書を買いに父に連れられて来ていたが、十数年通い続けて、今となっては薬学関係の書籍を中心に、取り寄せを頼むほどになっていた。